これからがスタート 野口レポートNo326

野口塾の塾生に、福岡からくる女性のMさんがいました。難病を克服し、次は途上国に子ども達の学校を建てる夢の実現です。

もう1人は介護のエキスパートSさんです。モンブランの登頂や、今でも大型バイクに乗っているスポーツウーマンです。

8年ほど前、Mさんから「心臓を病んだ時の私と同じ仕草をしていますよ」と言われました。「時折咳き込んだり、無意識に背中をさすったりしている、1度診てもらってください」と先生を紹介されました。Mさんは数年前に心臓の手術をしています。

Mさんへ生返事を繰り返していると、突然Sさんが訪れ「私が予約を入れるので診察に行ってください」と、携帯を取り出しました。Sさんに背中を押され重い腰をあげました。

精密検査の結果は心臓の冠動脈が2か所狭窄しているとのことでした。このまま放っておくと「心筋梗塞」を起こすとのことです。

 「ステント手術」をしました。血管の内側は神経がないそうです。麻酔をしないので、カテーテルが、心臓に向かって血管のなかをズズと進んでいくのが分かります。ステントを2本入れました。

翌年に別の狭窄が見つかり、合計4本のステントが入っています。その後は快調です。もし「心筋梗塞」を起こしたら命にかかわることもあります。2人の塾生は命の恩人です。

地元にかかりつけの医院があります。先代のお父さん先生のころから長くお世話になっています。今は息子さんのY先生が1週間に数回時間を割いて診察してくれています。

心臓など循環器内科の名医です。某大学病院の特任教授と副院長も務めています。大学病院で教授先生に診てもらうのは大変なことです。それが地元で気軽に診てもらえる、こんなありがたいことはありません、患者さんは幸せ者です。

月1回は定期検診に行っています。いつも適切な診断で薬を処方してくれます。おかげで、血圧も正常、糖尿病もなし、血液検査も95点です。が、最近不整脈が出るのが気になるところです。

 お医者様には名医がいます。相続の世界も同じです。名医と普通の先生の違いは「見たて」です。素人にはその違いは分かりません。病気も相続も誰に診てもらうかで運がわかれます。

私も77才になりました。建物なら築年数77年です。あちらこちらが痛んでくるのは当たり前の話です。この歳になれば誰もが病気のひとつやふたつは持っています。病気を受け入れ、上手に付き合っていくことが長生きの秘訣ではないかと思います。

この仕事も来年で30年になります。勉強と経験を30年間積んできて、相続がようやく見えてきました。人間としても少しは成長し、これからが本当の意味でのスタートかも知れません。

Y先生のお世話になり、もう少し長生きし、1人でも多くの相続人を円満相続へと導くお手伝いができたならと思います。

思索と行動のバランス

一体どうしたら思索と行動のバランスがとれるか。
第一に、物事をするのをおっくうがらぬこと。
第二に、つねに物事の全体を見渡す智慧を・・・
第三に物事の本質的順序を誤らぬこと。
そしてこれらの凡てを総括して行動的叡智という。
[ 森信三 一日一語 ] より

 

因果

因果というものは厳然たる真理です。
それゆえ如何にしてかかる因果の繋縛を超えるか。
結局はその理を体認透察することであるが、現実には後手に廻らぬこと。
つまり常に先手、先手と打ってゆくことである。
[ 森信三 一日一語 ] より

因果は真理。
解決方法は後手に廻らぬこと。

誠実

真に個性的な人の根底は「誠実」である。
それというのも、
一切の野心、さらには「我見」を焼き尽くさねば、
真に個性的な人間にはなれないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

手紙

人間の書く物の中で、
読まれることの一番確かなものは「手紙」である。
それ故できたら複写紙で控えをとっておくことは、
書物を書くのと比べて幾層倍も大事なことといえよう。
[ 森信三 一日一語 ] より

二重の真理

(一)われわれのこの人生は、二度と繰り返し得ないものだということ。
(二)われわれは、いつ何時死なねばならぬかもしれぬということ・・・
この二重の真理が切り結ぶことによって、
はじめて多少は根性の入った人間になれるといってよかろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

 

正直という徳

正直という徳は、
われわれ人間が、世の中で生きていく上では、一ばん大切な徳目です。
それ故「正直の徳」を身につけるためには、
ひじょうな勇気がいるわけですが、
同時に他の一面からは、相手の気持ちを察して、
それを傷つけないような深い心づかいがいるわけです。
[ 森信三 一日一語 ] より

仕事×心

仕事への熱心さ × 心のキレイさ = 人間の価値
隠岐の学聖永海佐一郎博士が「人間の真のネウチ」として立てられた公式です。
この明確な表現には心から敬意と讃歎を禁じえません。
唯われわれ凡人としては、「心のキレイさ」には到り得なくても、
せめて「心の暖かさ」が望ましいと思いますね。
[ 森信三 一日一語 ] より