真理は現実の只中にあって書物の中にはない。
書物は真理への索引(インデックス)にないしはしおりに過ぎない。
[ 森信三 一日一語 ] より
現場での実感です。
真理は現実の只中にあって書物の中にはない。
書物は真理への索引(インデックス)にないしはしおりに過ぎない。
[ 森信三 一日一語 ] より
現場での実感です。
一、腰骨を立て
二、アゴを引き
三、つねに下腹の力を抜かぬこと
同時にこの第三が守れたら、
ある意味では達人の境といえよう。
[ 森信三 一日一語 ] より
すべて物事は、
その事の真髄への認識と洞察が根本で、
真に認識に徹したら、動き出さずにはいられぬはず。
ところで認識への手引きは
ヤハリ生きた書物でしょうね。
[ 森信三 一日一語 ] より
感覚を新鮮にするには、
つねに異質的なものを媒介として自己を磨く必要がある。
でないと感覚はいつしか鈍磨して、
マンネリ化する傾向がある。
[ 森信三 一日一語 ] より
美術品の場合、倦きがこないということが良否の基準となる。
つまり倦きがこないとは、
作品に人為の計らいがないせいで、
それだけ天に通じる趣きがあるといえよう。
同時にこれは、ひとり芸術品だけでなく、
人間一般にも通じることでしょう。
[ 森信三 一日一語 ] より
真の鑑識眼は、最初のうちは、
最上のもの一つに徹することによって得られる。
いたずらに比較考量している限り、
ついに物事の真に徹するの期なけむ。
[ 森信三 一日一語 ] より
「腰骨を立てる」ことは、
エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。
この一事をわが子にしつけ得たら、
親としてわが子への最大の贈り物といってよい。
[ 森信三 一日一語 ] より
心はみえないから、
まず見える躰の方から押さえてかからねばならぬ。
それ故心を正そうとしたら、
先づ躰を正し物を整えることから始めねばならぬ。
クツをそろえること一つが、
いかに重大な意味をもつか分からぬような人間は、論ずるに足りない。
[ 森信三 一日一語 ] より
「五十にして天命を知る」・・・というが、
知という限り、まだ観念的なものが残っている。
それ故「六十にして耳順う」の境に到ってはじめて
真理の肉体化がはじまるともいえよう。
[ 森信三 一日一語 ] より
「下学して上達す」・・・
下学とは日常の雑事を尽すの意。
それゆえ日常の雑事雑用を軽んじては、
真の哲学や宗教の世界には入りえないというほどの意味。
[ 森信三 一日一語 ] より
一つ一つの行動からです。