五分の時間を生かせぬ程度の人間に、
大したことは出来ぬと考えてよい。
[ 森信三 一日一語 ] より
作成者アーカイブ: nakajyo
信
信とは、人生のいかなる逆境も、
わが為に神仏から与えられたものとして
回避しない生のの根本態度をいうのである。
[ 森信三 一日一語 ] より
迷い・悟り
悟ったと思う瞬間、即迷いに堕す。
自分はつねに迷い通しの身と知る時、
そのまま悟りに与かるなり。
[ 森信三 一日一語 ] より
立志の詩
「天地終始なく人生生死あり」
・・・これは頼山陽の十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、
これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが
我われの問題です。
[ 森信三 一日一語 ] より
求道
求道とは、この二度とない人生を如何に生きるか・・・
という根本問題と取り組んで、
つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。
[ 森信三 一日一語 ] より
読書
一日不読一食不喰。
書物は人間の心の養分。
読書は一面からは心の奥の院であると共に、
また実践へのスタートラインでもある。
[ 森信三 一日一語 ] より
師
天下第一等の師につきてこそ
人間も真に生甲斐ありというべし。
[ 森信三 一日一語 ] より
天道と人道 中條レポートNo272
二宮尊徳翁のことを記した「二宮翁夜話」(致知出版社)からです。
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天には善も悪もないのであって、善悪は人道で立てたものだ。たとえばいろいろな草木に、どうして善悪があろうか。それを人間から見て、米を善、葉草を悪としている。食物になるかならないかで区別するからだ。天地は決してそんな区別をしない
<中略>
そもそも人間は米食い虫だ。この米食い虫の仲間で立てた道は、衣食住になるべきものを増殖するのを善とし、この三つのものを損害するものを悪と定めている。人道でいうところの善悪は、これを定規とするのだ。
この定規に基づいて、人間のために便利なことを善とし、不便なものを悪として立てたのが人道なのだから、人道が天道と別個なことはいうまでもない。けれでも、天道に背反するというのではない。天道に従いながら、違うところがあるのが人道なのだ。
また次のようにも言っています。
世界のうちで法則とすべきものは、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と農業の道との四つだ。
天が生命の根源の徳をくだせば、地はこれを受けて万物を発生させる。親は子を育てるのに損得を忘れて、ひたすらに成長を楽しむし、子は育てられて父母を慕う。夫婦の間でもお互いが楽しみ合って子孫が相続する。農夫は勤労し植物の繁栄を楽しみ、草木はまたよろこんで繁茂する。
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「天道に従いながら違うものがあるのが人道」
この言葉は意味が深いです。人が生活を営もうとすると、天道と違ってしまうことがあるのは避けられません。しかし根本的なところで天道に背いてはいけないということだと思います。
続く、四つの法則はシンプルで、全てのことがこの法則に当てはまると思います。
一日の終わりに、今日あった出来事を振り返りこれらのことを考える時間を持ちたいものです。それが明日への第一歩になると思います。
二度二度童子 野口レポートNo328
老いて意思能力を失った人のことを、今では認知症とよんでいます。東北地方のある地域では、このようなお年寄りのことを「おじいちゃん・おばあちゃんは、子どもにかえってしまったんだなぁ~」というので、二度童子(にどわらし)といっているところがあります。何とも温もりのある言葉ですね。
認知症を発症したお年寄りの行動は赤ちゃんと似ています。赤ちゃんは、おしっこを漏らしても、ミルクをこぼしても、誰からも文句をいわれません。成長過程だからニコニコして見ていられます。
ところがお年寄りの「二度童子」となると、実際に直面する現実の厳しさが心での受け容れを難しくしてしまいます。
在宅介護の現場は、すさまじいものがあります。実際に親を介護し、体験した人でなければその苦労は分かりません。
Aさん夫婦が寝たきりの父親を在宅介護しています。下着を換えシーツを換えます。息つくまもなく父親はまた便意を訴えます。「ビニールビニール早く」ご主人が声を荒げます。が、間に合いません。素手で受けた下痢便が指の間から滴り落ちます。これが現場です。
介護の先には必ず相続が待っています。この相続を引き受けました。Aさん夫婦に感謝し、介護の労をねぎらう兄弟姉妹は誰もいません。遺産分割協議では当然のように権利を主張してきました。
野口塾に、NPO法人相続アドバイザー協議会理事長の平井利明さんがいます。認知症を発症し、排尿、排便、徘徊をする父親を、在宅で介護し最後を看取った人です。ご本人はこの体験が相続アドバイザーとして成長する大きな糧になったと言っています。
最初は「何で自分がこんな目に」と思ったそうですが、介護を続けていくうちに「ありがたい」と思えてきたそうです。
平井さんからある詩を教えていただきました。「手紙~親愛なる子供たちへ~」です。詩を聞いた時、涙が止まらなかったそうです。
「年老いた私が 今までの私と違っていたとしても どうかそのまま私のことを理解してほしい」こんな書き出しで始まります。
子は親になり、親はいずれ老いていきます。健康寿命が尽きれば、いずれ「二度童子」となるでしょう。
食べ物をこぼすこともあるでしょう。下着を濡らすこともあるでしょう。足も衰えてくるでしょう。そんなとき叱らないでください。あなたが赤ちゃんの時と同じです。そんなあなたを親は愛情こめて付き添ってくれました。
今度はあなたが付き添う番です。親の恩に気付いてください。あなたの人生の始まりにしっかりと付き添ってくれたように、親の人生の終わりに少しだけ付き添って差し上げてください。
賞味期限が終わり、枯れていく自分にも「二度童子」となる日がくるかも知れません。健康が保たれてこそ、初めて長寿の意味があります。長生できるなら健康寿命を願うばかりです。
死を覚悟し生となる
念々死を覚悟してはじめて真の生となる。
自銘 不尽
学者にあらず
宗教家にあらず
はたまた教育者にもあらず
ただ宿縁に導かれて
国民教育の友としてこの世の「生」を終えん
[ 森信三 一日一語 ] より