60代の10年間は黄金の時間 野口レポートNo334

昔は還暦になると、赤いちゃんちゃんこと頭巾をかぶり、お年寄りになったことを祝ったものです。誰が見ても当時の60才は立派な「おじいちゃん・おばあちゃん」でした。

私は昭和21年の生まれです。「光陰矢の如し」とはよくいいますが、アッという間の78年でした。

振り返ってみると、60才から70才までの10年間は「黄金の時間」でした。いま思えば第2の青春の入り口のようなものでした。大人の雰囲気が出てくる歳にもなり、まだ体力気力も十分ありました。若い頃に考えていた60才とはずいぶんと違いましとした。

60代、この10年間の「黄金の時間」に色々なことができました。いくつかをあげてみましよう。

6時間ぶっ続け「出し昆布」セミナー。
相続の法律や税務を語れる人は多くいますが、心の部分を語れる人はいません。「出し昆布」は自分の持っている全てを相手のために出し尽くします。相続に関して私が持っている「知識・経験・ノウハウ・心」を全て出し尽くします。名付けて、6時間ぶっ続け「出し昆布」セミナーです。立ちっぱなし、話しっぱなしで6時間です。100人を超える会場もありました。心の相続をテーマに依頼を受け、九州から北海道まで全国に講演に行ったのも60代でした。

著名な税理士先生のラジオ番組にゲストとして呼ばれ、「心の相続」をテーマに3回ほど対談させていただきました。

毎月発行している「野口レポート」を編集し、「心をつなぐ相続」として初めて出版することができました。ライターは使いませんでした。街の本屋さんに並んでいる自分の本をみて感激しました。

旅行等も積極的に参加しました。足腰も衰えを感じることなく、親しい友人家族らと一緒に行った旅行は楽しい思い出です。

4人姉妹が揉めていた長崎の五島列島や、別件で与論島にも行きました。精神的にも成長し、体力・気力もみなぎっていました。

 それから数年がたち後期高齢者と呼ばれる歳になりました。以前のように足が上がらない、駅へ行くにも若い女の子に抜かれる、座って立つのが難儀になってきた、お酒の量も少なくなった。

最近になって体力の衰えをはっきり感じるようになりました。現実を素直に受け入れることは大切です。年は、どんなに大金持ちでも、いくら貧しくても平等です。同じように重ね老後をむかえます。自分もあと2年で80才の大台にのります。その時の体力はどうでしょうか、衰えを補うのは気力しかありません。私を必要としている人はまだいます。これからも現役を続けていくなかで、いかに気力を保つことができるかが勝負です。

60代はまさに第2の青春です。還暦をむかえた人、これからむかえる人も、老いている暇などありません。この素晴らしい時間を充実して過ごしてくださるよう願っています。

奉仕

人はこの世の虚しさに目覚めなければならぬが、
しかしそれだけではまだ足りない。
人生の虚しさを踏まえながら、
各自応分の「奉仕」に生きてこそ人生の真の味わいは分かり初める。
[ 森信三 一日一語 ] より

評論

創作家が評論をするのは、チューブに穴をあけるようなもので、
それだけ創作への迫力が減殺される。
随って真の文豪は、評論は書かずに自己の作品で示している。
[ 森信三 一日一語 ] より

リズム

すべての物事は、リズムを感得することが大切である。
リズムは、根本的には宇宙生命に根ざすものゆえ、
リズムが分かりかけてはじめて物事の真相も解り出すわけである。
中んずく書物のリズムの如きは、著者の生命の最端的といってよい。
[ 森信三 一日一語 ] より

肩書

人間は退職して初めて肩書の有難さがわかる。
だが、この点を率直に言う人はほとんどいない。
それというのも、それが言えるということは、
すでに肩書を越えた世界に生きていなければ出来ぬことだからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

出所・進退

公生涯にあっては、出所・進退の時機を誤らぬことが何よりも肝要。
だが相当な人でも、とかく誤りがちである。
これ人間は自分の顔が見えぬように、
自分のことは分からぬからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

信託 中條レポートNo278

「家族信託」「個人信託」等の名前で呼ばれる制度。最近では普及が進み様々なところで提案されるようになりました。

信託の始まりは十字軍です。十字軍の兵士は、戦地に行くと故郷に残した家族と連絡がとれません。残された家族では、兵士の財産を上手に使うことが出来ない。
信託は故郷に残した財産を家族のためにどのように使うか悩む兵士のために出来た制度です。

兵士が故郷にいる資産管理運用に長けた信頼できる人に財産を託す(預ける)のです。託された人が、兵士の家族のために財産を活用していきます。そのためには託された人は、託された財産を自分の財産と同様に運用・処分出来ることが必要です。
その権限を与えるために出来た制度が「信託」です。
制度の根幹は「信じて」「託す」ことなのです。

お父様が将来施設に入りたい。施設に入るときはお金が必要。その時、お父様名義の自宅を処分する必要がある。でもその時お父様が認知症で意思能力が衰え、自宅を売却出来なくなったらどうしよう。成年後見制度を利用するのは大変そうだ。

こんな悩みを持つ方の利用が増えています。
お父様が長男に自宅を「信じて」「託し」ます。
自宅の売却が必要になったら、長男が自宅を売却し、お父様の施設費用を捻出します。

子供がいない「本家」の長男。自分が亡くなった後、妻の生活のために、妻に財産を残したい。しかし、妻が死亡すると財産の四分の三は妻の兄弟へいってしまうのは困る。妻が死亡したら財産を弟(又は弟の子)に相続させ本家を守って欲しい。

こんな悩みの方が信託を利用します。
長男が弟(又は弟の子)に財産を「信じて」「託す」のです。
長男が亡くなったら、財産を長男の妻のために活用します。長男の妻が亡くなったら弟(又は弟の子)が財産を取得し本家を引き継ぎます。

信託には上記の他にも様々な利用方法があります。
どの利用方法でも一番肝心なのは「信じて」「託す」お互いの信頼関係です。

濃紺の背広との別れ 野口レポートNo334

人生には出会いもあれば別れもあります。10数年間苦楽をともにしながら、私の生き様を見てきてくれたパートナーがいます。それは1着の濃紺の背広です。捨てがたく、もう1年、もう1年と、つい着込んでしまいました。さすがに色あせ、ほころびも目立ち、いよいよ限界となりました。

あるおばあちゃんが相談にみえました。数10年前に父親が亡くなり、その後に母親が亡くなりました。まだ相続手続きをしていません。名義を変えてほしいとの相談です。母親は父親(夫)の相続人の立場と、被相続人の立場を持つことになります。遺産分割協議書での母親の表示は「相続人兼被相続人」となります。

遺産は約40坪ほどの土地です。相続人は妹が1人とのこと、妹からは姉が相続する同意を得ているとのことです。司法書士をセットして相続登記をすれば済む話と思われました。が、このおばあちゃんは1人暮らしです。いわゆる独居老人です。話を傾聴していくうちに、ご主人と離婚をしているとのこと、父親の土地の上にある建物は別れたご主人とおばあちゃんの共有になっていること、2人の子供は事情があり、おばあちゃんの面倒を見るのは難しいことが分かりました。この相続問題の本質は何かを考えました。ひとり暮らしをしているおばあちゃんが頼りになるのはお金です。

相続した土地を将来換金し、老人ホームなどの費用にあてる必要があります。ここで問題が出てしまいました。相続する土地上の建物は元ご主人との共有です。土地を売るには建物の解体の承諾を取っておくか、おばあちゃんの単独所有にしておく必要があります。

元ご主人のところへ行きました。丁寧に事情を説明し、建物の持分を贈与してくれるようお願いしました。こちらの誠意が通じ贈与契約書にハンコを押してくれました。建物は築年数も経過し持分も半分なので評価も低く贈与税の負担はありません。

これでこの土地をいつでも売却し、老人ホームの費用にあてることができます。その時は私が仲介することを約束し一件落着です。おばあちゃんからは「神様だよ」と言われました。

相続アドバイザーは弁護士や税理士などの専門家ではありません。士業でない者が、相続の世界で生きていくには「問題点を感じ取る感性」と「本質を見抜く目」そして「思いやりの心」を、知識以上に身につけておく必要があります。

小さな仕事だとお思いでしょうが、相談者にとって荷物の大きさは違ってもその重みは同じです。どんな小さな仕事でも相手のために全力で取り組む気持ちがなければ大きな仕事はできません。

よい仕事をした後は心地よいものです。この相続案件が長く連れ添ってきたパートナー(背広)との最後の仕事になりました。シワを伸ばし丁寧にたたんで、長い間お世話になったパートナーに別れを告げました。「ありがとう」の言葉が自然と出てきました。