平衡化

世界史は結局、巨大なる「平衡化」への展開という外なく、
わたくしの歴史観は「動的平衡論」の一語につきる。
すなわち「動的平衡論」とはこの宇宙間の万象は、
すべてこれ陰(マイナス)と陽(プラス)との
動的バランスによって成立しているということである。
[ 森信三 一日一語 ] より

共有 中條レポートNo271

日本の法律では、所有権は非常に強力なものとされてきました。

例えば、所有者がゴミ屋敷を作るなど、周囲に迷惑を及ぼす場合でも、所有権の絶対性から簡単には対処できなかったのです。ゴミであっても、所有者の承諾なしに廃棄処分することはできません。

しかし、所有権がいかに強固であっても、他人に迷惑を及ぼす行為には制限を加えるべきとの考え方が近年強まり、法改正が進んでいます。その一環として、今年の4月1日に施行された民法の共有に関する改正があります。

共有者の一人が行方不明である場合、売却を希望してもどうすれば良いのか、多くの人が悩んでいます。

これまでは、行方不明者の財産を裁判所が指名した管理人が管理し、その後、不動産の売却許可を得るための裁判を経る必要がありました。この方法では、管理人はその行方不明者の財産を全て管理する必要がありました。
今回の法改正により、共有不動産のみの処分を裁判所が許可することが可能になりました。

これは相続にも影響を及ぼします。共有者の一人が亡くなり、相続人の中に行方不明者がいる場合、その相続が開始して10年が経過した後、上記の同様の手続きで売却が可能になりました(一定の制限はあります)。

所有権に対する他の制限も追加されました。
例えば、隣地の枝木が自分の敷地に越境している場合、催告の後に自身で切ることができるようになりました。
また、給排水を私道から引くための工事を行う場合、私道の所有者の許可なく、通知を行うことで工事が可能になりました。

「自分の持ち物だから自分の好きにできる」
という概念に大きな変化が進んでおり、今後もこの傾向は続くと思われます。しっかりウオッチしていきたいと思います。

 

第3相続順位とその対応 野口レポートNo327

☆被相続人に子がいる。子が相続人となる第1順位の相続です。父母や祖父母の直系尊属や兄弟姉妹は相続人にはなりません。養子は実子と同じ権利義務を有します。

認知した非嫡出子も先般の民法改正で、実子と同じ相続分を有するようになりまた。

☆被相続人に子がいない。が、父母がいる。父母がいなくても祖父母がいる。これは父母等が相続人となる第2順位の相続です。

☆被相続人に子も父母や祖父母もいない。これは兄弟姉妹が相続人となる第3順位の相続です。兄弟姉妹が亡くなっていてもオイメイまでは1代限りで代襲相続人となります。

☆配偶者は、第1順位、第2順位、第3順位であれ、順位により相続分は違っても、常に相続人となります。

◎Aさんの伯母さんが亡くなりました。ご主人はすでに他界しており、子どもがいないので相続人は伯母さんの兄弟姉妹です。

5人のうち2人はすでに他界しオイメイに枝分かれしています。相続人はオイのAさんを含め全部で10人になります。

近くに住んでいるAさんが葬儀を仕切り、相続もまかされました。私が載っていたタウン誌を見て相談に見えたそうです。他の相続人からは一任を取り付けているとのことでした。

主な遺産は自宅の土地建物、それに預貯金が少々です。葬儀費用を差し引き、自宅売却の諸費用を見積もり、手取り残額を算出し代償金を決めます。相続人が兄弟姉妹の場合は残額を法定相続分で按分することが多いです。一度全ての財産をAさんが相続し、そのあと自宅を売却し他の相続人に代償金を払います。

Aさんが翌年に払う費用は、①譲渡所得税、②社会保険料等、③確定申告税理士報酬です。直近で払う費用は、④葬儀費用、⑤確定測量費用、⑥建物解体費用、⑦相続登記費用、⑧遺品処理費用、⑨土地売買仲介手数料、⑨相続アドバイザーへの報酬、⑩雑費です。

全ての段取りが整ったら遺産分割協議書に署名押印です。第3相続順位の相続は相続人が多く、しかも北海道から沖縄まで全国に散らばっていることがよくあります。

相続人全員が一堂に集まるのは不可能です。遺産分割協議書を人数分(10枚)つくり全員に送ります。署名押印し返送されてきた遺産分割協議書を10枚束ねて初めて効力が生じます。

遺産分割は多数決では成立しません。例え1枚でも署名押印がもらえなければ、受け取った他の9枚の遺産分割協議書は無駄になってしまいます。これがリスクです。

このリスクを避けるため、相続分譲渡証明書(有償でも無償でも可)をもらう方法もあります。返送されてきた8人の相続分は取りあえず自分の相続分として確保しておき、あとは相続分10分の9と10分の1での遺産分割協議になります。

一芸一能

すべて一芸一能に身を入れるものは、その道に浸りきらねばならぬ。
躰中の全細胞が、画なら画、短歌なら短歌にむかって、
同一方向に整列するほどでなければなるまい。
[ 森信三 一日一語 ] より

分を知る

分を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。
随って人間も分を自覚してから以後の歩みこそほんものになる。
だが才能ある人ほど、その関心が多角的ゆえ、
「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。
[ 森信三 一日一語 ] より

履物を揃えることから

地上の現実界は多角的であり、かつ錯雑窮まりない。
随って何らかの仕方で常にシメククリをつけねば仕事は進まない。
そしてそれへの最初の端緒こそハキモノを揃えるしつけであって、
それはやがて又、経済のシマリにもつながる。
[ 森信三 一日一語 ] より