認知症を隠さず、共に暮らせる社会へ 中條レポートNo288

認知症は決して「隠すべき病気」ではありません。
日本は超高齢社会に突入し、認知症は誰にとっても身近な課題となっています。

しかし今なお、診断を受けることへの恐れや、周囲からの偏見によって、症状を抱えながらも支援にたどり着けない人が多いのが現実です。

認知症は早期に発見し、適切な対応を取ることで、進行を緩やかにし、本人の生活の質を維持することが可能です。

2023年には、アルツハイマー型認知症の進行を抑える新薬「レカネマブ(商品名:レケンビ)」が日本で承認されました。この薬は脳内のアミロイドβという異常なたんぱく質を除去することで、軽度認知障害(MCI)や早期アルツハイマー病の進行を遅らせる効果があるとされ、治療の新たな選択肢として注目されています。

さらに、2024年以降も認知症関連の臨床研究は進んでおり、早期診断を可能にする血液検査の実用化も目前に迫っています。これは、簡便な検査で発症リスクを早期に捉えることを可能とし、治療介入のタイミングを早めることができる大きな技術革新です。これまでCTやMRIによる画像検査が必要だった診断が、日常的な健康診断の延長として実施できるようになれば、受診への心理的ハードルも大きく下がるでしょう。

しかし、薬の力だけで認知症と向き合うことはできません。地域社会の理解と支援が不可欠です。

厚生労働省は「認知症施策推進大綱」に基づき、認知症になっても希望をもって暮らせる社会の実現を目指しています。

全国各地で「認知症カフェ」や「認知症サポーター養成講座」など、地域と本人・家族をつなぐ取り組みも広がっています。

学校や企業などでも認知症への理解を深める活動が進み、世代を超えて支え合う社会づくりが求められています。

認知症は特別なことではなく、誰にでも起こりうるものです。

大切なのは、「隠す」のではなく、正しく知り、早く気づき、共に生きるという姿勢です。医療と地域の支えがあってこそ、認知症のある方も安心して暮らせる社会が実現するのです。

「掃除の神様」を偲ぶ 野口レポートNo344

古い話で恐縮ですが、我が国での衛星による最初のテレビ中継は、1963年に行われたアメリカからの放送です。この歴史的瞬間を見ようと、多くの人がテレビの前(私もその一人)で待ちました。

飛び込んできたのは、ケネディ大統領が暗殺された衝撃的ニュースでした。その後ケネディ家は、暗殺、墜落事故、自殺、離婚など、多くの悲劇に見舞われます。

ケネディ家の父親は、実業家として巨額の富を残しました。子ども達はその財産で、政界や財界に進出し頂点まで登りつめました。だが、幸せにはなれませんでした。

「掃除の神様」の異名で知られ、掃除を国内だけでなく、世界にも広げた鍵山秀三郎氏が、去る1月2日に91歳でお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

イエローハットの創設者で「日本を美しくする会」を立ち上げた人です。氏や全国「掃除に学ぶ会」を中心に掃除の輪が内外に広がりました。無理に勧誘しなくても、良いものは自然と広がります。

氏は日本の精神文化を持った人です。半世紀以上にわたり徹底し、実践してきたトイレ掃除は、すでに哲学の域に達しています。「凡事徹底」は氏の生き様です。誰にでもできることを誰にもできないくらい、徹底して続けていくと平凡が非凡になります。

また、自転車一台で始めた行商から、多くの苦難を乗り越え、年商600億の会社にまで育てあげました。穏やかな表情からは、そんな苦労は微塵も感じられません。何よりすごいところは、人に幸せを与えながら会社を発展させたことです。俺だけが、うちの会社だけはと、周りを蹴落とし多くの人を不幸にしながら発展してきた企業や人はいずれ消えるでしょう。例え大企業のトップでもここを誤ると、お金では買うことのできない大事なものを失います。

人は大なり小なり財産を残すでしょう。人に幸せを与えながら築いてきた財産か、人を不幸にしながら築いてきた財産か、同じ財産でも天と地の違いです。

相手のことを考えず、我欲で手に入れた財産で人は幸せにはなれません。社会や人に役立ちながら、汗して築いてきた財産に争いがおきた話は聞きません。ご先祖様がどう築いてきたか、自分がどう築いていくか、財産は築かれてきたルーツが大切です。

以前、氏からお父様の相続の話を聞いたことがあります。兄弟が互いに思いやり、争いは何一つなかったそうです。

教育者の森信三先生(故人)が、2025年には日本は再び立ち上り、2050年には世界の列国が認めざるを得ない国になると予言されています。正しい日本の歴史を知ること、忘れかけてしまっている日本の精神文化を取り戻すこと、これらのことができたなら、予言も的中するかもしれません。この目でその日を確かめることはできませんが、25年後の日本が楽しみです。

心に残る相続案件《3》 野口レポートNo343

10数年ほど前に手がけた相続案件がありました。相続人は5人です。独身の姉(長女)がすべてを仕切っています。姉の依頼を受け、妹さん(二女)のところへ行きました。姉と妹との間には深い確執があり、ここを合意に導けるかが勝負となりました。

妹さんにすれば私は敵(姉)の手先です。最初は玄関にも入れてくれません。数回通っているうちに真心と公平な対応が通じ、最後は心を開いてくれました。相続手続きも無事終わり、今度は逆に全幅の信頼を受けてしまい、何かあると私に相談してくれます。

それから8年後に姉は亡くなりました。最近、妹さんから電話もなく心配していました。大病を患い手術を受けたと後で知りました。幸い手術は成功したとのことです。

その後、野口さんには話しておきたいと、妹さんから分厚い手紙を頂きました。幼い頃からの辛い思いや、姉との確執もビッシリ書いてありました。私はその手紙を読んで、このままにしておいてはいけないと、次のような返事を書きました。以下略文

「このようなお手紙を私にくださるには勇気がいったことと思います。子供の頃から色々なことがありましたね。人を恨まなければならない環境にあったことはよく分かりました。だが、人を恨むことは、ものすごいエネルギーを消耗します。

亡くなったお姉さんを許してあげたらどうでしょうか、今まで辛い思いをされたことは十分承知です。人を恨みながら死んでしまったら、その遺恨は来世までのこり自分に還ってきます。

恨みはどこかで断ち切らねばエンドレスとなり続きます。そうは言っても、気持ちは簡単に切りかえられないかも知れません。

だが、お姉さんを許してあげてください。仏壇に手を合わせ、嘘でもいいからお姉さんを許すと言ってください。毎日続けていると本当に許せる気持ちになります。

人に言えないご苦労、言葉で表せない辛さはお察しします。大病を乗り越えたことは、このまま恨みを残して死んではいけないと、天が時間を与えくださったのです。

勝手なことを書いてしまいました。お許しください。だが、このままではご自身が不幸で終わってしまいます。原因はすべて自分の心のなかにあると思ってください。 野口賢次 拝」

妹さんは涙をボロボロ出しながら、この手紙を読んでくれたそうです。「そんな気持ちになれるものか」と思いながらも、仏壇に手を合わせ、お姉さんを許すと言ってくれたそうです。

しばらくし、妹さんからお礼を言われました。「物心がついてから60年、一時も頭から離れなかったシコリが取れ、気持ちが楽になりました。今が一番幸せな気がします。」うれしい言葉でした。

10数年前に完了したと思っていた相続案件でしたが、本当の意味で終わったことを感じました。

死因贈与と遺贈の違い 中條レポートNo287

相続対策において、「死因贈与」は有効な選択肢の一つです。
これは贈与者が亡くなったときに効力を生じる贈与契約であり、遺言による遺贈と類似していますが、いくつかの重要な違いがあります。
ここでは両者を比較しながら、死因贈与の実務での活用について解説します。

まず、共通点としては、どちらも贈与者(遺言者)が死亡することで効力を生じ、相続手続の一環として財産の承継が行われる点です。

しかし、成立の仕方に明確な違いがあります。

遺贈は遺言による単独行為であり、遺言者の一方的な意思で作成・撤回が可能です。

死因贈与も贈与者の一方的な意思表示で撤回可能ですが、一定の条件のもと撤回を制限することも可能です。

「〇〇をすることを条件に私が死んだら贈与する」という契約では、贈与を受ける人が〇〇を行うと贈与者が一方的に取り消せなくなります。

また遺贈では、受遺者が遺贈を放棄し受け取らないことも可能ですが、死因贈与は契約ですので放棄することが難しくなります。必ず受け継いでもらいたいもの(自宅等)を遺したいときの選択肢にもなります。

また不動産では贈与者の生前に、受贈者の仮登記を行うことも出来ます。

また、形式面でも違いがあります。

遺言は原則として自筆証書または公正証書など法律に則った形式で作成しなければ無効となります。

一方、死因贈与契約は法律上決まった形式はないため簡易に作成出来ます。全文ワープロで作成した贈与契約書に当事者が署名捺印すれば有効に成立します。

但し後日紛争にならないよう、当事者の真意で行ったことを証明できる工夫が必要になります。

死因贈与は、遺言では対応しにくい個別事情に対応できる手法です。適切に活用することで、贈与者と受贈者双方の意向に沿った相続が実現できます。

実務では、契約の明文化、公正証書化、負担の明確化(負担の履行が証明出来ないと紛争の元になる)が重要なポイントとなります。
適用場面や法的効果を理解したうえで、慎重に取り扱うことが求められます。