争いの起源と相続トラブル 中條レポートNo292

縄文時代の遺跡からは、ほとんど「武器」が出土していません。これは非常に注目すべき点です。縄文人たちは、およそ1万年以上もの間、自然と共生しながら、平和な生活を送っていました。狩猟採集を中心とした暮らしでは、食料は必要な分だけ得て分かち合うものであり、「奪い合う」という発想が育ちにくかったと考えられています。

しかし、弥生時代に入り稲作が定着すると、状況は一変します。稲作によって「貯える」ことが可能になると、自然と「所有」の意識が芽生えます。所有は、守るべきものを生み出し、それが争いの火種となっていきました。集落間の衝突、力を持つ者が弱い者から奪う構図が次第に生まれ、縄文時代のような平和な関係性は崩れていきます。

この変化は、現代社会における相続トラブルにも通じるものがあります。人は財産を持ち、それを残します。問題は、「誰が」「どれだけ」受け取るかという点です。被相続人が遺言などで明確な意思を示さないまま亡くなると、法定相続分に基づいた分割が基本となりますが、それでも「不公平感」や「納得できない」という感情から、争いが生じることがあります。

相続トラブルの多くは、財産そのものではなく、感情や誤解、不信感から起きるものです。とくに、生前の関係性や介護への関わり方など、数字では表せない「思い」が絡んでくると、事態は複雑になります。

こうした争いを防ぐためには、以下のような取り組みが重要です。
・財産の見える化:財産目録を正確に作成し、遺族全員が内容を共有する。
・意思の明文化:遺言書を残し、自身の考えを明確に伝える。
・生前の対話:相続や介護について家族で話し合う機会をつくる。

本来、私たち日本人のDNAには「争わない」性質が備わっていたはずです。縄文時代に見られたような、分かち合い、助け合う精神を現代にも取り戻すことができれば、相続は争いではなく「感謝の循環」となるはずです。

所有をめぐる感情に支配されるのではなく、**「残す人の想い」と「受け取る人の感謝」**がつながる相続を目指すことが、これからの社会に求められる姿勢ではないでしょうか。

心に残る相続④法律を頭から外す 野口レポートNo348

社会秩序を保つため国が定めた規範が法律です。常識は普通の人が持っている日常的な知識と感覚です。

万人に平等であるべき法律や税法ですが、知ると知らないでは大きな不公平が生じます。また、法律が幸せと一致するとは限りません。そして、常識が法律に勝てないのも世の常です。

相続の実務やアドバイスでは、時には法律を一度頭から外し、依頼者の幸せは何かを、心から考えてみる必要があります。

知人の紹介で相談者Bさんが見えました。ご主人のAさんは大地主の長男で、商社に勤めているエリートサラリーマンです。だが、不幸にして50歳の若さで急逝されました。

父親が早逝しており、当時は年少であったAさんですが、跡取り息子として、多くの不動産を相続しました。その後Bさんと結婚しました。ところが子宝に恵まれませんでした。これが今回の相続問題の根元です。相続人は配偶者のBさんとAさんの母親です。

「先の父親の相続で兄が相続した不動産は全て母親に相続させろ」と、義兄弟姉妹が連日のようにハンコを迫ってきます。Bさんが相続した不動産は、Bさんが亡くなれば全部B家側へ移ってしまいます。これを防ぎたいのはA家側の心情です。

Bさんは法律相談や弁護士のところを転々としました。「3分の2の権利がありますよ。」出てくる答えはどこも同じでした。

義母に仕えながらご主人を支えてきた想い。連日ハンコを迫る義兄弟姉妹。法律相談にいけば3分の2の権利があると言われる。Bさんはどうしてよいのか分からず、眠れない日が続いています。

Bさんにお話しさせていただきました。法律を盾に戦えば勝てます。だがA家とはいがみあうことになり、生涯いやな思いをし、過ごさなければならない、土地のルーツをたどればA家が代々引き継いできたものである。相手は兄の固有財産は相続してよいと言っている、ひとり身のBさんが暮らしていくには足りる財産である。

若いBさんの人生はこれからです。得るは捨つるにあり、「ここは譲ってしまい、残りの人生を、明るく楽しく健康で暮らした方が勝ちですよ。財産でなく自分の幸せを取りましょう」と、アドバイスしました。Bさんはこの言葉で我に返り号泣です。

「ハンコを押しました。」数日後、吹っ切れた明るい声が電話の向こうから聞こえてきました。お会いした時には、ウツの扉を開け、すでに片足を突っ込んでいる状態でした。優先すべきはBさんの幸せです。一度ウツの世界へ入ってしまったら、元に戻れる保証はありません。ここは背中を掴みグッと引き戻して差し上げることです。

法律や財産が人の幸せと一致するとは限りません。相続人の幸せを守って差し上げるためには、法律や財産を一度頭から外し、その人の幸せは何か、心から考えてみることも必要です。

途中でやめられる後見制度へ 中條レポートNo291

成年後見制度は、判断能力が不十分な方を保護し支援するための制度です。現行制度では、家庭裁判所で後見開始の審判が出ると、原則として本人が亡くなるまで後見が続きます。このため、状況が変化しても「途中でやめる」ことは難しく、支援内容や期間を柔軟に見直せないという課題がありました。

今回の見直し議論では、以下のような方向性が検討されています。
〇途中終了の明確化支援が不要になった場合や、他の支援制度に切り替える場合に、家庭裁判所の判断で後見を終了できる仕組みを整備する。
〇期間設定型後見の導入
最初から一定期間のみ後見を行い、その後は延長の要否を判断する方式を検討。

もっとも、後見終了には新たな課題も伴います。
〇金融機関の対応
後見終了後、預金の引き出しに際し、金融機関が「後見人がいないと取引できない」と判断することが予想されます。終了の事実を適切に伝え、本人や家族が円滑に取引できる仕組みづくりが求められます。
〇施設側の対応
施設入所時に「後見人がいるから契約を受けた」ケースで、後見が終了した時の施設がどのように対応するかが問題です。契約条件や支援体制の見直しが求められます。
〇業務量増大
後見終了に伴い、後見業務に携わる関係者、家庭裁判所の業務量の増加が予測されます。増加することにどのように対応するかが現場では問題視されています。

制度の柔軟化は、本人の権利擁護と生活の安定をどう両立させるかが鍵です。
後見を終了しても、金融取引や生活環境が途切れないための連携体制を整えることが不可欠です。
改正が実現すれば、成年後見制度は「一度始めたら続く制度」から「状況に応じて使い分ける制度」へと変わっていくでしょう。
そのためには、利用者・家族・専門職・関係機関の情報共有と実務ルールの整備が重要となります。

蘇る集落 野口レポートNo347

歴史には興味がありました。特に縄文時代や弥生時代など、古代の歴史にはロマンがあります。考古学の道へ進むことが子供の頃からの夢でした。だが、人生いろいろです。気がつけばGスタンドから相続実務家へと、考古学とは全く縁のない道を歩んでいます。

戦後の住宅政策が軌道にのりはじめた昭和32年頃の話です。川崎の井田丘陵で宅地の開発が始まりました。造成中の丘からは弥生時代の土器の破片がたくさん出てきました。

工事のおじさん達にはただのガラクタですが、野口少年にとっては宝物です。造成現場は宝の山でした。おじさん達に何度追い払らわれても、スキをみてはシャベル片手に造成現場で破片を採取しました。採取した破片は一つひとつ丁寧につなぎ合わせ復元していきます。壷や鉢がその輪郭を表します。復元した土器を手にすると、はるか大昔にタイムスリップし、この壺を手にしていた古代人の想いや生活までが目に浮かび胸がときめきます。

話を現代に戻します。以前Aさんの地主相続をコーディネートしました。数億円の相続税も何とか納付でき一息です。Aさんは近くの丘にある生産緑地を相続しました。主たる農業従事者(父)の死亡で、猶予されていた生産緑地の相続税は免除となり、宅地転用が可能です。相続は生産緑地を宅地にできるチャンスです。

引き続き生産緑地として相続すれば、生涯営農や担保の提供を条件に農地に課せられる相続税がふたたび納税猶予(免除でない)されます。どちらを選ぶか、この選択は都市農家にとって重要です。

Aさんには遡及課税の恐ろしさと生涯営農のリスクを十分説明し、生産緑地を解除し宅地転用を選んでいただきました。

換金も土地有効活用のひとつです。相続は入り口であり、出口が大切です。大事なことは、相続後に明るく楽しくゆとりある人生を過ごせるかです。借金コンクリートの立派なマンションより、無借金木造アパートの方が、お金が残ることがあります。いかに手元にお金を残せるか、見栄でなく実を取ることが大切です。

宅地転用した生産緑地の買主は戸建業者です。この付近は埋蔵文化財包蔵地域内にあるため「文化財保護法」の制限があります。

考古学に興味のある私は、丘陵にある造成現場のロケーションを一目見て、必ず遺跡がでると思いました。試掘調査で予測したとおりに溝状遺構が確認されました。

教育委員会文化財課と協議の結果、正式な発掘調査が必要となりました。調査が終わるまで土地に手はつけられません。調査費用は地主の負担となります。Aさんに負担はかかりましたが、農業後継者や生涯営農のリスクを考えると、生産緑地を宅地転用し、売却換金した判断は間違いでなかったと思っています。

はるか大昔、古代人が集落を築いていた丘が、数千年の時を経て現代人の戸建集落として甦ります。歴史はまさにロマンです。

「救い」

「救い」とは「自分のような者でも、尚ここにこの世の生が許されている」・・・
という謝念でもあろうか。
そしてその見捨てない最後の絶対無限な力に対して、
人びとはこれを神と呼び仏と名づける。
[ 森信三 一日一語 ] より

比較

善悪・優劣・美醜などは、すべて相対的で、
何ら絶対的なものではない。
何となれば、いずれも「比較」によって生まれるのであり、
随って尺度のいかんによっては、逆にもなりかねないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

肩書

人間は退職して初めて肩書の有難さがわかる。
だが、この点を率直に言う人はほとんどいない。
それというのも、それが言えるということは、
すでに肩書を越えた世界に生きていなければ出来ぬことだからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

出所・進退

公生涯にあっては、出所・進退の時機を誤らぬことが何よりも肝要。
だが相当な人でも、とかく誤りがちである。
これ人間は自分の顔が見えぬように、
自分のことは分からぬからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

流水不争先

「流水不争先」・・
現世的な栄進の道を、アクセク生きてきた人が、
あげくの果てに開眼させられた一境地といってよかろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

流水不争先
川を流れる水は、先を争って流れているように見えるが、高きから低きに流れているに過ぎない。 それを争い、競って、流れているように見えるのは、それを見ている人間の心に「争い事」の感覚が充満していて、目が曇っているからだ。