実務講座 中條レポートNo281

私が所属する相続アドバイザー協議会(以下「SA協議会」という)で、一昨年度より実務講座を開催しています。

この講座の受講要件はSA協議会が開催している相続アドバイザー養成講座(以下「SA養成講座」という)を一定割合以上受講し、SA協議会の認定会員になっていることです。

「認定会員になったけど、なかなか実務が出来ない」
という声に応えるための講座として誕生しました。

SA養成講座では相続実務に欠かせない法務・税務・保険・不動産等の知識を学びます。
しかし相続実務ではその知識を現場で使えなければなりません。

具体的には依頼者の話を傾聴し、何が問題かを把握し、相続手続の方向性を定め、どのような手続が必要かを洗い出し丁寧に進めていきます。

何が必要か、何が問題になるかを洗い出すことはSA養成講座で学んだ知識が役立ちます。しかし実際どのように手続を進めていくかが重要です。

誰に、どこに頼むのか、手続書類の書き方、提出先等々、実務を行っていくうえではこれらをしっかり把握して、漏れなく行うことが必要です。

また同じ遺産の分け方でも、手続のやり方はいく通りもあります。
手続のやり方で手取り額が変わることもあります。また手取り額が同じでも、「そのやり方は止めてくれ」と相続人から言われることもあります。

相続人に手続方法をしっかり説明することが大切です。
手続を行う各機関にこの手続方法で問題がないかを確認することも重要です。

例えば預貯金等の金融資産の場合、各金融機関で手続のやり方が異なりますし、時の経過により手続の方法が変わることもあるからです。

手続をしっかり進めていくことが、相続人間の疑心暗鬼の芽を摘み、不要な争いを防ぎ、相続を円満に導くために肝要です。

世の中の急激な変化に伴い、多種多様な相続手続が出てくるため、講座自体が進化していくことも重要です。常にバージョンアップを心掛け役立つ講座にしていきたいです。

街路樹に感謝 野口レポートNo336

前を通る南武沿線道路が開通したのは昭和39年でした。その時から歩道には街路樹の「ゆりの木」が植えられています。落葉樹なのでこの季節になると歩道一面に枯葉が落ちてきます。この落ち葉を掃くのがひと仕事、やっと掃き終わっても風のひと吹きで元に戻ってしまいます。いつも文句を言いながら掃いていました。

朝7時の歩道の掃除は日課です。ある時、大事な事に気付きました。この木は2代目になりますが、大きく育ち「夏は葉が生い茂り事務所に入る西日を遮ってくれている。冬は葉を落とし暖かな光を事務所のなかに入れてくれている。」こんな有り難い事になぜ気付かなかったのか、自分の未熟さを恥ずかしく思いました。

「ありがとう」の語源は「有り難い」です。つまり、「ある」ということはなかなかないことなのに「ある」のです。それは幸せなことです。だから「ありがとう」なのです。

「ある」のが当然と思っていることは「有り難い」の正反対です。だから反対語は「当たり前」なのです。

有り難いは身近なところにあります。当たり前と思わず、感謝できるかどうか、気付くことで人格は形成されていきます。

街路樹の有り難さに気付いてから、落ち葉の掃除も苦にならなくなりました。ありがとうと感謝の気持ちで掃いています。

先日この木に張り紙がしてありました。「この樹木は管理に支障があるので伐採します。道路公園センター」とありました。

葉が青々と茂った元気な優良樹なのになぜ切るのか、役所の担当部署に問い合わせてみました。原因は横断歩道の邪魔になっており、公共の安全を優先するとのことでした。50年も放置しておき何をいまさらと思いました。

数日後、市から伐採を委託された業者が、ごみ回収車、クレーン車、高所作業車、作業員が4人と、ものものしい出で立ちで現れ、枝を払い幹の頭をクレーンでつまみ後は輪切りです。ゆりの木のあっけない最後でした。残骸(切り株)をさらけ出し、後は伐根されるのを待っているだけです。樹木といえ可哀想な気がします。

もし樹木が歩くことができたなら、どこか住み心地のよい場所を見つけ根を張ることもできるでしょう。が、それはかないません。植物は自分の住むところを選べないのです。この木も「座して死を待つ」しかありませんでした。

人間はいつも、不平不満、グチ、泣きごと、悪口、文句を言っています。植物は崖だろうが道路だろうがドブだろうが、種が落ちたところに根を張り、一切文句を言わず一生懸命生きています。人間も生きる強さを学ぶべきだと思います。

人が亡くなる時は、寂しさと同時にあっけなさを感じます。樹木も同じだと思いました。半世紀にわたり、南武沿線道路の街路樹として、私どもを見守ってきてくれたゆりの木に感謝し合掌です。

二重の真理

(一)われわれのこの人生は、二度と繰り返し得ないものだということ。
(二)われわれは、いつ何時死なねばならぬかもしれぬということ・・・
この二重の真理が切り結ぶことによって、
はじめて多少は根性の入った人間になれるといってよかろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

正直という徳

正直という徳は、
われわれ人間が、世の中で生きていく上では、一ばん大切な徳目です。
それ故「正直の徳」を身につけるためには、
ひじょうな勇気がいるわけですが、
同時に他の一面からは、相手の気持ちを察して、
それを傷つけないような深い心づかいがいるわけです。

口外

相手と場所の如何に拘わらず、
言うべからざることは絶対に口外せぬ。
この一事だけでも、真に守り得れば、
まずは一かどの人間というを得む。
[ 森信三 一日一語 ] より

十年

人間何事もまず十年の辛抱が肝要。
そしてその間抜くべからず、奪うべからざるは基礎工事なり。
されば黙々十年の努力によりて、
一おう事は成るというべし。
[ 森信三 一日一語 ] より

自己の道

自己の道は自己にとっては唯一にして絶対必至の一道なれど、
他から見ればワン・オブ・ゼムたるに過ぎない・・・
との自覚こそ大事なれ。
そしてこの理を知ることを真の「自覚」とはいうなり。
[ 森信三 一日一語 ] より

覚悟

九十九人が、川の向う岸で騒いでいようとも、
自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。
[ 森信三 一日一語 ] より