同僚より五分前に出勤する心がまえ・・・
それが十年も積み重ねられたとき、いつしか大きなひらきとなる。
[ 森信三 一日一語 ] より
一歩一歩の積み重ねです。
同僚より五分前に出勤する心がまえ・・・
それが十年も積み重ねられたとき、いつしか大きなひらきとなる。
[ 森信三 一日一語 ] より
一歩一歩の積み重ねです。
古来傑出せる人ほど、コトバの慎しみは特に重視せしものなり。
良寛には「戒語」が四通りもあり、
その内最大なるものは、八十箇条にものぼれど、
そのすべてが言葉に関する戒めなり。
また葛城の慈雲尊者は、「十善法語」の十戒中、
言葉の戒めが、四箇条を占める。
以って古人の言葉に対する慎しみのいかに深きかを知るに足らん。
道元も曰く「愛語よく回天の力あるを知るべきなり」と。
(注※四箇条とは(一)不妄語(二)不綺語(三)不悪口(四)不両舌)
[ 森信三 一日一語 ] より
言葉には力があります。
物事はすべておっくうがってはいかぬ。
その為には、先ず体を動かすことを俊敏に・・・。
[ 森信三 一日一語 ] より
俊敏に行うことが大切です。
休息は睡眠以外不要・・・という人間に成ること。
すべてはそこから始まるのです。
[ 森信三 一日一語 ] より
人間は、進歩か退歩の何れかであって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している証拠である。
[ 森信三 一日一語 ] より
心願をもって貫かねば、いかに才能ありとも
その人の「一生」は真の結晶には到らぬ。
[ 森信三 一日一語 ] より
成年後見制度利用促進法に基づき予算を費やし市区町村が中核機関を設け、後見制度をより社会に役立つ制度にし、普及させようとしています。
それでは、何故後見制度が必要なのでしょうか。
必要な場面は二通りあると思います。(制度が必要な方を本人といいます)
➀意思能力が衰え法律行為が出来なくなった本人が、法律行為を行わなければならなくなったとき。
法律行為とは、本人が定期預金を解約したり、不動産を売却することです。施設費用等資金捻出が必要で他に費用が捻出出来ないとき等、必須な行為となります。
この時、本人の意思能力が低下していて、定期の解約や不動産の売却が出来なければ、本人の代わりに成年後見人がこれらの行為をするしか方法がないからです。
➁本人がその人らしく暮らすことが、意思能力の低下により損なわれているとき。
一人暮らしの高齢者が急増しています。
これらの方が、年齢と共に少しずつ意思能力が衰えていき、今まで自分でやれていたことが出来なくなっていくと、自分らしい生活が出来なくなっていきます。
関わってくれる親族がいる方は親族が見守ってくれます。親族がキーパーソンとなり、介護関係・医療関係の方々と連携して、様々介護サービス・医療の提供に関し対応していきます。
関わってくれる親族がいない方はどうでしょう。
身体の状態が衰えても、自分でやれるうちは、本人が対応し介護や医療の支援を受けることが出来るでしょう。
しかし、意思能力が劣れてきて、これらが思うように出来なくなると、介護・医療の関係者からキーパーソンの存在を求められます。施設入所が必要な場合は必須となることもあります。
こんな状況の時、キーパーソンとなれる存在が後見人(保佐人・補助人)なのです。
後見人は本人の代わりに、預貯金の出し入れ、介護や医療契約を行うことが出来るからです。(但し医療同意等出来ないこともあります)施設も後見人がいれば入所を認めてくれるところが多いです。
後見制度が必要な制度だと解ってもらえることが成年後見制度普及の第一歩です。
遺言には大きく分けると、「自筆証書遺言」と「公正証書遺言」の2種類があります。自筆証書遺言は、家庭裁判所の「検認」を受け、遺言に「検認証明書」を添付しなければ、銀行預金の解約や不動産などの相続手続が一切できません。
検認は遺言が有効か無効かを判断するものではなく証拠保全作業です。相続人全員が家庭裁判所の審判廷に呼ばれ(出欠は自由)相続人の前で開封されます。
公正証書遺言は、法律の専門家が作成するので法的不備はありません。原本は遺言者が115才位になるまで公証役場で保管してくれます。ゆえに改ざん、紛失、焼失の心配はありません。
公正証書遺言には、「検索制度」があります。平成元年以後に作成した遺言なら、相続開始後に相続人もしくは代理人が近くの公証役場へ出向き検索をかければ、全国どこの公証役場で作成した遺言でも一覧表で出できます。相続人が請求すれば再発行も可能です。
◎Aさん家族は某団体に属しています。Aさんはこの団体に馴染まず、成人したのを機に脱会しました。それが原因で家族からは村八分にされています。いつもながらこの種の問題の根の深さを感じずにはいられません。弟がすべてを仕切り、何をするにもAさんは蚊帳の外です。そんな仕打ちに耐えてきました。
父親が亡くなりました。弟に何度連絡しても取りあってくれません。遺産を把握するため不動産登記簿謄本を取りました。収益物件はすでに相続開始後に弟の名前で登記がされていました。Aさんは遺産分割協議書に判子を押した覚えはありません。
公正証書遺言があれば登記が可能です。検索をかけてみました。平成19年作成が1本、亡くなる5年前に作成したものが1本ありました。遺言が複数ある場合は日付の新しいものが有効です。
内容はひどいものでした。弟が収益不動産や預貯金など美味しいところを独り占めし、羽振りのよかった父親が、当時買いあさったリゾートの土地(複数)を全部Aさんに押しつけています。
これらの土地は流通するような物件ではありません。周りの土地も多くが売りに出ています。が、成約した物件は1件もありません。これは「資産」ではなく「負債」です。俗に言う「負動産」です。
弟はいいとこ取りを決め込んで、何をしても何を言っても音沙汰なし、相続税の申告もできません。このような相続人は一番始末が悪いです。ここは弁護士にお願いすることにしました。
この案件の懸念は、子のいないAさんが亡くなり、次に奥様が亡くなったら、多くの「負動産」が奥様の兄弟姉妹や甥姪に渡ってしまう可能性があります。これをどうするか、これからの課題です。
Aさんはセミナーで私の話を聴いて感銘してくれました。それがご縁で知りあいました。素朴で素直な人です。できることはやってあげたい、そんな気持ちで取り組んでいます。
人はすべからく、終生の師をもつべし。
真に卓越せる師をもつ人は、終生道を求めて歩きつづける。
その状あたかも、北斗星を望んで航行する船の如し。
[ 森信三 一日一語 ] より
「師」がいることの有難さ。
常に方向を示してくれます。
人に長たる者は孤独寂寥に耐えねばならぬ。
[ 森信三 一日一語 ] より