遺言必須 野口レポートNo302

子供がいないから、財産は全て配偶者にいくと思い込んでいる夫婦のなんと多いことか。とんでもない間違いで、夫(妻)が遺言を作ってなかったら妻(夫)は辛い思いをします。

夫が亡くなり、子供がなく父母等の直系尊属も他界していたら、妻と夫の兄弟姉妹が相続人となります。兄弟姉妹が亡くなっていたら、甥・姪が一代限りで代襲相続人となります。妻はこの義兄弟姉妹と夫の遺産分割の話し合いをしなければなりません。

Bさん夫婦がいます。子供がいません。Bさんは妻より10歳年上です。年上の自分が先に亡くなると思い、世話になってきた感謝の証として、自分の預貯金を全て妻の通帳に移しました。

生計一ですから、互いが自由に使え特に問題はありません。が、予期せぬことに妻が先に亡くなってしまいました。

預貯金は凍結され、生活費も下ろせません。相続人はBさんと妻の兄弟姉妹です。銀行に「これは自分のお金だ!」と言ってもそんな話は通用しません。Bさんは途方にくれています。

何代も続いてきた旧家があります。「栄枯盛衰」栄える時もありますが、衰えてしまう時もあります。道楽者が出たためにこの旧家もすっかり衰え昔の面影はありません。母親はすでに他界し父親が残った自宅で一人暮らしをしています。

高齢の父親は寝たきりとなり介護が必要となりました。隣に住んでいるAさん(長男)夫婦が在宅介護をすることになりました。

介護は、食事や下の世話など心身ともに大きな負担を強いられます。実際に経験した人でなければその苦労は分かりません。

そして3年後に父親は亡くなりました。Aさんの依頼でこの相続案件を引き受けました。相続人はAさんと5人の姉達です。

弟夫婦に介護を押しつけ、親の世話を一切しなかった姉達は全員が法定相続分を主張してきました。介護をしてくれた弟夫婦へ「ありがとう」の感謝の言葉もありません。

それどころか自宅を売却しお金に換えろと言ってきました。Aさんは旧家としての面子もあり、せめて3回忌が終わるまで売るのは待ってほしいと嘆願しました。が、姉達は聞く耳を持ちません。

Aさん夫婦には子供がいません。Aさんは自分が亡くなったら、全財産は妻へ行くと信じて疑っていませんでした。

今回の相続で姉達の正体は見えました。もしAさんが亡くなったら権利を主張してくるでしょう。5人のしたたかな義姉達に奥様はとても太刀打ちできません。遺産分割協議は理不尽な内容で合意させられてしまう可能性があります。

「絶対に遺言が必要だ!」とAさんを説得しました。すぐ資料を揃えAさんと公証役場に出向き、公正証書遺言を作成してもらいました。姉達に遺留分の権利はありません、これで奥様は安心です。遺言必須の典型的な事例でした。

肝をすえる

肚をすえるという事は、
裏返えせばすべて神まかせという事でもある。
だが単に神まかせというだけでは、まだ観念的であって、
よほどそれに徹しないとフラつきやすい。
[ 森信三 一日一語 ] より

森信三先生の言葉として発せられていることに重きがあります。

必ず何とかはなる

「世の中はなるようにしかならぬ、だが必ず何とかはなる・・・」
もしこの「何とか」というコトバの中に、
「死」というコトバも入れるとしたら、
これほど確かな真理はないであろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

人は必ず「死」をむかえます。
これほど確かなことはありません・

借金の返済

この世の事はすべて借金の返済であって、つまる処天のバランスです。
すべてが「宇宙の大法」の現れだということが解ったら、
一切の悩みは消えるはずです。
[ 森信三 一日一語 ] より

そうですね。
人間に生まれてこれたことが、すごい恩恵をですから。

対人援助 中條レポートNo245

福祉の世界では対人援助が重要です。(以下援助される人を「本人」と言います)

援助で大切なのは、本人と援助者が対等関係になることです。〇〇してあげるというものではありません。援助者は本人と二人三脚で目標に向けて歩んでいきます。(目標は本人にとって「幸福」につながるものであることが必要です)

 そして本人が問題解決の主体者となります。
援助は目標を達成するため、本人が決めたプロセスに徹底的に付き合い共に歩んでいく事です。

本人に決めてもらうためには、気が付いてもらうことが重要となります。
そのため援助者は本人が自ら問題を解決していけるよう側面から働きかけます。援助者は主体でなく「本人のいるところ」から伴走車として出発します。

 伴走者になるためには、現在の本人の様子を理解するだけでなく、本人の育ってきた歴史を知ることも重要です。援助者から見た本人ではなく、本人から見える風景にどう接近していくかが大切となります。

問題解決者である前に本人のよき理解者となることです。「自分のことをわかってくれている」と思ってもらえることが大切です。

援助の現場では、目標と手段を混同しないことに注意が必要です。援助することが「目的」でなく、援助は目標を達成するための「手段」だからです。
例えば、
歩くことが困難になった人に、ただ歩くことのリハビリを強いるのが本人の幸福につながるでしょうか。
しかし、孫と散歩する楽しみを実現するためにリハビリをするということであれば、幸福を達成するための手段となります。
現場では援助することが目的になりがちです。注意しないとこの間違いに陥ってしまいます。

 どのような考えで本人に接するかで行動の一歩目から変わってきます。理念をしっかり持って取り組んでいく事が大切です。

遺産分割は法定相続分の時代へ 野口レポートNo301

民法では相続人になれる人と相続分が決められています。法律で決まっているのなら、法律通りに確定してしまえば済む話です。相続争いなど発生する余地はありません。

ところが遺産分割協議で相続人全員が法定相続分で合意する必要があります。また相続人全員が合意したならば、どんな分け方をしても有効となるからやっかいです。

遺産分割協議が成立しなければ、家庭裁判所へ調停申し立てをします。調停が不成立となれば審判(裁判)に移ります。

審判官(裁判官)は、全ての事情を総合的に考慮し判決を出しますが、法律で決まっている法定相続分を変えることはできません。

父親が亡くなりました。相続人は母親を看取り父親を介護した長男、借金(ギャンブル)の肩代わりをしてもらい、勘当状態になっている二男、嫁いでいる長女の3人です。

49日の法要も終わり、次は遺産分割協議です。疎遠であった二男がこの時ばかりとやってきました。長男は両親の世話や介護への寄与と、本家としての墓守や親戚付き合いを考慮し、本家に厚めの分割案を提案しました。長女は兄の提案にしたがいました。親の見舞いにもこない、葬儀にもこなかった二男が法定相続分(1/3)を主張し譲りません。遺言がなかったことが悔やまれます。

遺産分割協議はまとまらず、家庭裁判所の調停から審判に移りました。通常の親の介護では長男の相続分を増やすことはできません。見舞いや葬儀にもこなかったと、二男の相続分を減らすこともできません。常識と法律は違います。そして常識は法律に勝てません。長男には不本意ですが二男の法定相続分は確定するでしょう。

何代も続いてきた旧家なら、家督相続思考が文化として残っており、本家以外が法定相続分を主張することはまずありません。が、普通の家庭では、揉めるのはいやだし、相続は平等だから法定相続分との言葉が、違和感なく出てくるようになりました。

1980年頃、「新人類」と言う言葉が流行りました。従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持った若者のことです。

その若者達も親が亡くなり、相続人の立場になる歳になりました。異なった感性や価値観、行動規範を持った相続人の出現です。この年代は権利意識が強く、義務をはたさなくても権利だけはしっかりと主張してきます。

審判官ですらできない、法定相続分を変えられる人が一人だけいます。それは被相続人となる人です。方法は遺言です。法定相続は平等相続です。平等のなかに不平等(公平)を持ち込むのは遺言にしかできません。近年、遺産分割は法定相続分との考えが増えてきています。法定相続が当たり前の時代がくるかもしれません。

法定相続は平等ですが公平とは限りません。これからは相続で公平を保つ唯一の方法である遺言の必要性が増してきます。

思索と行動

一体どうしたら思索と行動のバランスがとれるか。
第一に、物事をするのをおっくうがらぬこと。
第二に、つねに物事の全体を見渡す智慧を・・・
第三に物事の本質的順序を誤らぬこと。
そしてこれらの凡てを総括して行動的叡智という。
[ 森信三 一日一語 ] より

因果

因果というものは厳然たる真理です。
それゆえ如何にしてかかる因果の繋縛を超えるか。
結局はその理を体認透察することであるが、現実には後手に廻らぬこと。
つまり常に先手、先手と打ってゆくことである。
[ 森信三 一日一語 ] より

因果は真理なんですね。

手紙

人間の書く物の中で、
読まれることの一番確かなものは「手紙」である。
それ故できたら複写紙で控えをとっておくことは、
書物を書くのと比べて幾層倍も大事なことといえよう。
[ 森信三 一日一語 ] より

森信三先生発案お複写ハガキ。
続けています。