きずなチーム 中條レポートNo235

超高齢化社会においては、地域住民で支える福祉が大切になります。

この役割を果たすべき活動の一つに、小田原市のボランティア活動「きずなチーム」というものがあります。地区ボランティア、自治会関係者、民生委員、老人クラブ会員、チーム趣旨に賛同された方、等で構成されています。

主な活動は、日常生活のなかでの高齢者等への“さりげない見守り”です。

地域に住む独居高齢者を把握し、その人の家の変化(郵便物が貯まっている、雨戸が閉まったまま、等々)に注意し異変があれば、対応できる部署に報告をします。

 “さりげない”でよいのです。何も意識しなければ見過ごしてきたことが、意識するだけで問題を発見でき対応出来るようになるからです。

ここから一歩進めた行動が、ご自宅を訪問する、手紙を書く、サロン等の活動に誘うことです。

 意識するだけです。この小さな変化が地域福祉を変えていきます。住民から変わっていくのです。この活動が広まっていくことが、本当の地域福祉が形成されていく第一歩になるのではないでしょうか。

 そして“さりげない見守り”が成年後見促進法における後見制度の普及においても重要となります。

促進法の目的の一つに、意思能力の衰え初期の人に後見制度を利用してもらい、その人らしい生活をすごしてもらうことがあります。(中條レポートNo229233参照)

この目的を果たすための最初のハードルが、意思能力の衰えの初期の人で、暮らしに支障が必要な人の存在を知る事なのです。(この方々は自分から困っていると声を出す人が少ないからです)

きずなチームはこの方々たちの存在を教えてくれます。

 

日本人は元来、近隣の方々で支え合う文化を持っています。昨今、ここが希薄されていると言われていますが、元に戻すことは出来るはずです。

その第一歩も“さりげない見守り”をするという個々人の意識の変化ではないでしょうか。福祉は地域住民で支えることが出来ると気がつくきっかけになるからです。

一刀流の極意 野口レポートNo291

「剣は心なり 素直な熱意こそ 大切なり」稽古に通っていた剣道場の標語です。私はこの言葉が大好きでした。

25歳で剣道を習いはじめ、続けていたら三段になっていました。剣道の精神や考え方は、自分の生き方や人生だけでなく、50歳で起した相続の仕事にも少なからず影響を与えてくれました。

人生は人との出逢い、師との出逢いで決まると申します。刃筋が通り真っすぐ下りた剣は相手の剣をはじき、肉を切らせて骨を切ります。「真っすぐ上げて、真っすぐ下す」師である道場の館長(小野派一刀流師範)から教えていただいた一刀流の極意です。 

中野八十二先生(元慶応大学剣道部師範)が道場を訪れてくれました。中山博道らとならび昭和の剣聖といわれた達人です。三段以上は特別に稽古をつけていただけます。当時二段の自分はかえすがえす残念でした。

「剣道とは何か」見ておきなさい。館長の言葉のあと弟子たちは総当たり、高段者の先輩たちが中野先生にまるで赤子のようです。剣先は相手の中心を一分も外さず霊気さえ感じます。

剣豪など文庫や映画の世界と思いきや、現実に目のあたりにした達人の衝撃は、いまでも目に焼き付いています。

どんな格下でも相手を尊重し、真剣勝負で応じられる姿にも感銘を受けました。小さな仕事でも全力で取り組むことの大切さは、中野先生の姿から学ばせていただきました。

昭和の剣道ブームのころ、地元の剣友会で小学生の指導をすることになりました。剣道は正しい面打ちができれば、ほかの技は自然と身につきます。ここは徹底し指導しました。

子どもたちの剣筋は素直で、剣道大会では相手に胴を抜かれたり、小手を打たれたり、試合ではなかなか勝てません。「なんでうちの剣友会は勝てないの?」内心お母さんたちは不満です。これでいい、これでいいのです、もう少し我慢と説得します。

小手先の技を教えれば試合では勝てますが、いずれ行き詰まります。「大きく振りかぶり、真っすぐ打ちこむ」は原点です。主宰している相続野口塾もこの精神を20年間つらぬいてきました。

正しい剣筋を身につけた子どもたちはメキメキと頭角をあらわし、剣道大会では上位を占めるほどになりました。教え子たちは揃って地元の中学校に入学し剣道部に入りました。

玉川中学校剣道部が川崎を征するのに時間はかかりませんでした。学校の廊下には笑顔で優勝旗をかこんでいる当時の子どもたちの写真が飾ってあります。

教え子たちは剣道を通し成長し、社会に出てからも立派に活躍しています。「真っすぐ上げて、真っすぐ下す」一刀流の極意は全てに通じる極意でもあります。

着手点

人は他を批判する前に、まず自分としての対策がなければならぬ。
しかも対策には何よりも着手点を明示するを要する。
この程度の心の用意なきものは、他を批判する資格なしというべし。
[ 森信三 一日一語 ] より

具体的な対策をもたずに、他人を批判してはならないということです。

その道にしたりきる

すべて一芸一能に身を入れるものは、その道に浸りきらねばならぬ。
躰中の全細胞が、画なら画、短歌なら短歌にむかって、
同一方向に整列するほどでなければなるまい。
[ 森信三 一日一語 ] より

「その道にしたりきる」
森信三先生ならではの言葉です。

ハキモノを揃える

地上の現実界は多角的であり、かつ錯雑窮まりない。
随って何らかの仕方で常にシメククリをつけねば仕事は進まない。
そしてそれへの最初の端緒こそハキモノを揃えるしつけであって、
それはやがて又、経済のシマリにもつながる。
[ 森信三 一日一語 ] より

ハキモノを揃える大切さがわかります。

真知

知っていて実行しないとしたら、
その知はいまだ「真知」でない・・・との深省を要する。
無の哲学の第一歩は、実はこの一事から出発すべきであろうに・・・。
[ 森信三 一日一語 ] より

深い言葉です。

嫉妬心

嫉妬は女にのみ特有のことではなく、
男女に共通する最深の罪といってよい。
そしてそれは結局、自己の存立がおびやかされる事への危惧感であって、
いかに卓れた人でも、事ひと度自己の専門に関する事柄ともなれば、
いかに隠そうとしても嫉妬心が兆す。
[ 森信三 一日一語 ] より

嫉妬心。
心の奥から自然にこみ上げてきます。
注意が必要です。

配偶者居住権 中條レポートNo234

今年4月スタートの話題の配偶者居住権。配偶者が亡くなるまで自宅に住める権利です。夫死亡後、残された妻の生活の場の確保というのが制定された主旨です。

しかし、本来の目的で利用する人がどれだけいるでしょうか。それよりも節税目的で利用する人が増えるのはないかと言われています。

自宅の土地建物の価値が1億円。夫死亡で妻が配偶者居住権を取得し、長男が配偶者居住権という制限が付いた土地建物を取得したとします。

このときの相続税評価を配偶者居住権5,000万円、制限が付き土地建物を5,000万円とします。(妻の年齢等でこの評価額はかわります)

次に妻が死亡した場合どのようになるでしょうか。

配偶者居住権という土地建物に付いている権利は消えてなくなります。(長男に権利が移転するのではありません)

消滅した結果、制限が付いていない完全な土地建物(時価1億円)を取得します。

気になる税金はどうなるのでしょうか。

長男の資産価値が5,000万円増えたにもかかわらず、長男には相続税も贈与税も所得税も課税されません。無税で資産価値が増えるのです。

これが節税対策に使われる理由です。

 しかし注意が必要です。必ずしも節税効果があるとは限らないからです。

小規模宅地の特例(居住用不動産に対し、一定の要件を満たすと大幅な減税効果がある制度)の適用状況、財産額、等々で配偶者居住権を利用することで税金が増える場合もあります。

亡くなった方が一人で暮らしていた居住用不動産を売却する場合の空家特例(利益が出ても3000万円まで課税されない)は配偶者居住権で暮らしていた住宅には適用されません。最終的に売却を予定している場合は注意が必要です。

また、死亡以外でも配偶者居住権が終了する場合があります。具体的には妻が施設入所したような場合です。その場合は上記と違い税金に注意です。(詳細は税理士へ)

 夫が亡くなった後、妻が生存する平均期間は約17年。
配偶者居住権は長期的な視野で様々なケースを考え検討していく必要があります。

税理士をはじめとした専門家のアドバイスが欠かせません。

時間どろぼうと新型コロナウイルス 野口レポートNo290

半世紀以上前に書かれた児童文学に「モモ」ミヒャエル・エンデ作があります。時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語です。

数年前に知人にすすめられ読みました。児童文学とはいえ奥の深い本であると感じました。今この本がコロナ禍で注目されています。再読しさらに深さを感じました。

物語は、時間どろぼう(ゾッと寒気がする「灰色の男」たち)と自然のままに生きている浮浪児の女の子「モモ」との戦いです。

「灰色の男」たちにあやつられ、時間を盗まれてしまった町の人びとは、むだな時間が人生を豊かにすること、人間らしく生きられること、このことを完全に見失ってしまいました。

いい服装をし、お金もよけいに稼ぎました。しかし以前のようなしあわせな生活にはなれません。心もすさんでいきます。

意味は少し異なりますが、時間どろぼうは現代でも私たち人間のそばにいます。それは「新型コロナウイルス」です。コロナは多くの人たちから大切な時間を盗んでいきました。

①人の命⇒ 「志村けん」さんも人生の後半で一番大切な残りの時間を盗まれてしまいました。盗まれなければ独自の笑いで多くの人を楽しませてくれたでしょう。

②通勤時間⇒ 通勤時間も盗まれました。在宅ワークも長期間となるとどうでしょうか、通勤は必要な時間だと思います。

③温泉旅行⇒ 庶民のささやかな楽しみである温泉旅行の癒しの時間も盗んでいきました。開店休業の旅館やホテル、車庫には時間を盗まれた観光バスがあふれています。

④教育⇒ 教育は国にとって最も重要な事業です。大学生のなかには入学したが、一度も学校に行ってない学生もいます。大切な学ぶ時間も盗まれました。

コロナは、私たち人間から膨大な時間を盗みました。これ以上どんな時間を盗もうとしているのでしょうか?

話を物語に戻します。モモ⇒「時間をぬすまれてしまった人間はどうなるの?」灰色の男⇒「人間なんてものは、もうとっくから要らない生きものになっている。この世を人間のすむ余地もないようにしてしまったのは、人間じしんじゃないか。こんどはわれわれがこの世界を支配する!」(モモより引用)。

物語では「モモ」が「灰色の男」たちから盗まれた時間を取り戻し、人びとはもとの人間らしい生活に戻ることができました。

はたして現代社会に「モモ」はいるのでしょうか、これからの新しい生活様式に人間のリズムが合うのでしょうか、コロナ禍は私たちに「時間とは何か」を考える機会を与えてくれました。

この本は人間としての本来の生き方を忘れかけてしまっている現代人に警鐘をならし「時間の真の意味」を問うています。