遺言or贈与 中條レポートNo197

遺言を書くと、特定の財産を特定の相続人に相続させることが出来ます。
それでは遺言を書けば完璧でしょうか。
そうではありません。

遺言は書き変えることが出来るからです。
遺言を書いた後、別の相続人に違う遺言を書いて欲しいお願いされる場合があります。

年齢と共に意思能力は減退していきます。
衰えてくると、頼まれた(その時お世話になっている)相続人の言うことを拒絶できなく遺言を書き変えられる場合があります。

意思能力が衰えても、意思がある程度あれば遺言は有効に成立します。
そして遺言は新しい遺言が有効です。

こんな事態が起きる可能性が有る場合で、この財産だけは特定の相続人が相続しないと困るというような場合。
例えば、相続人である長男の家が建っている敷地を父親が所有している場合。等々。

贈与も選択肢のひとつです。
「でも贈与税は高いから」
と言われますが、相続税精算課税制度を使い贈与すれば高額な贈与税課税は防げます。

通算2,500万円までは非課税で、超えた分に20%課税です。但し、贈与した財産は相続時に持ち戻し相続税を精算しますので、節税効果はありません。
また、以下の注意点がありますので、利用時には専門家のアドバイスが必要です。

不動産の所有権移転時に発生する、登録免許税、不動産取得税は贈与の方が高い。翌年相続税精算課税贈与の申告が必要。贈与出来るのは20歳以上の子や孫のみ。この制度は普通の贈与制度(暦年贈与)との選択制。一度この贈与制度を利用したら、110万円まで非課税になる普通の贈与制度は、相続税精算課税制度で贈与を受けた贈与者からの贈与では利用できなくなる。等々。

「この財産は、必ずこの子に引き継がせたい」
このような場合は遺言と贈与の選択肢があることを知っておくことが大切です。

6時間出汁昆布セミナー 野口レポートNo253

NPO法人:相続アドバイザー(SA)協議会の事業に「相続アドバイザー養成講座」があります。今回で第41期となります。

1講座2時間で全20講座あります。この養成講座の第1講座の講師を17年間務めていることは先のレポートでご紹介しました。

今でこそ余裕を持って講義をしていますが、講師になりたての頃は緊張し受講生の顔など見えませんでした。

場数を踏んでくると受講生の顔が見えてくるようになります。顔が見えてくると、居眠りをしている人が目につき、自分の話がつまらないのか、興味がないのか、気になってしまいます。

さらに場数を踏んでくると、居眠りをしている人をどうやって起こそうか、場に合わせ講義をアレンジできるようになります。

以前、SA上級アドバイザー受験対策講座の講師を担当していました。この講座で居眠りしている人を起こすのは簡単です。「ここは試験に出るかも知れませんよ。」この一言で、今まで寝ていた人がパッと起きるから不思議です。

受講生の居眠りは講師の器量に原因があります。話にメリハリをつけるとか、実例をうまく取り入れるとか、工夫次第では楽しく学べ、時間はあっというまに過ぎてしまいます。

SA協議会に「相続寺子屋」があります。会員による自主運営の勉強会で、北海道から九州まで全国14か所で活動しています。

先日、相続寺子屋:武蔵小杉で「6時間出汁昆布セミナー」の特別講演を行ないました。6時間セミナーはエネルギーを消耗するので多くはできません。川崎、九州、今回の武蔵小杉で、まだ3回です。会場は満席で学ぶ意欲と熱気につつまれます。

「出汁昆布は人の幸せのために、自分の全てを出し尽くし最後は空っぽになります。」相続の現場で苦労しながら培ってきた、経験・知識・ノウハウなど、6時間かけて出し尽くしました。

人には寿命があります。もし自分が死んでしまったら、これまでに蓄積してきたノウハウを伝える術はありません。あの世には相続などありませんから、持っていっても役に立ちません。

23年にわたり、学んできた知識、現場での体験、身についたノウハウ、本質の見抜き方など、自分が元気なうちに「世のため人のために出し尽くす。」天から課せられた最後の役目だと気付きました。出汁昆布セミナーを始めたきっかけです。

参加した皆様が学んだものを役立て、「相続を争い不幸になってしまう人」を、一人でも減らしてくれたならうれしい限りです。

6時間立ちっぱなし、しゃべりっぱなし、話すも方も聞く方も真剣そのもの、寝ている人は誰もいません。終わったあとは精根尽き果てます。だが、本気で伝えることができた満足感と、出し尽くした充実感、止まぬ拍手が疲れた身体を癒してくれます。

承継

道の継承には、少なくとも三代の努力を要せむ。
従って継承者は師におとらぬだけの気魄と精進を要せむ。
[ 森信三 一日一語 ] より

事業承継の難しいと言われる所以です。

制限行為能力者 中條レポートNo196

意思能力が無い人のことを、意思無能力者といいます。この人が行った売買、遺産分割等の法律行為は無効です。法的効力が生じません。(どの程度の方が意思能力者とされるかは、行う法律行為によって異なります)

それでは意思能力は衰えているが、無いとまでは言えない人が行った法律行為はどうなるでしょうか。
これは有効に成立します。

この方々が誰にも相談せずに法律行為を行ったら、騙されてしまうかもしれません。そうならないように成年後見制度では制限行為能力者という人を定めています。具体的には被後見人、被保佐人、被補助人と呼ばれる方々です。

この方々が行った行為で、本人に不利益な行為は取消せるとしたのです。通信販売で高額な布団を買ってしまっても返品してお金を返してもらえるのです。

取消せる人は後見人、保佐人、補助人で、家庭裁判所が選任します。この方々は本人の代理で法律行為を行うことも出来ます。

判断能力が不十分な人が約870万人。そのうち後見制度利用者は20万人です。この現状を鑑み、昨年5月に成年後見制度の利用の促進に関する法律が施行されました。

1条に「財産の管理又は日常生活に支障が有る者を社会全体で支え合うためには成年後見制度が不可欠だから普及させなければならない」と書かれています。

独居高齢者、夫婦二人住まい世帯が急増しています。この方々が意思能力が衰えても安心して暮らせるため成年後見制度が不可欠だということを認識することが大切です。

弁護士・司法書士・行政書士等の親族以外の後見人が増えていますが、普及させるための数は到底足りません。そのため、各市町村で市民後見人の養成が義務付けられています。(市民後見人:一般市民の方で後見業務を行うための学習をし認定された方)

地域の人を、地域の人が見守っていく体制づくりが普及のカギを握っています。

行政頼みではなく、地域の人は地域の人が守るということの現実化の第一歩になることを期待したいです。

足らぬ幸せ 足りる不幸せ 野口レポートNo252

昭和39年は、夢の超特急東海道新幹線の開通、ビルの谷間を高速道路がかけめぐり、東京オリンピックが開催された年です。車社会の幕開けでもあり、ガソリンスタンド(GS)は花形産業でした。

そんな時に1本の計画道路が畑を横切り、自分の人生を変えてしまいました。何を思ったか半農で役所勤めの父が、退職しGSを開業すると言い出しました。

跡取り息子は家業を継がなければなりません。正直で素直さだけが取り柄の自分には、商売人としての才覚がないことは分かっていたのでGS開業に「大反対」をしました。

押し切られ父は開業に踏み切りました。だが、慣れぬ仕事のストレスで体調を崩し長期入院、家族会議が開かれGSを売却するか、他に貸すかの話になりました。華々しく開業し、わずか半年でやめてしまったら世間の笑い者です。ここで2度目の「大反対」です。大学を中途退学し家業の立て直しを決意しました。

遊びまわっている同年代を横目に、朝7時から夜9時まで身を粉にして働きました。自分の時間などありません。わずか20歳の青年の肩に責任の全てが伸し掛かってきました。家業の立て直しが青春の全てでした。この時の様々な試練や苦労が人間形成の根幹となり、今日の自分があります。振り返れば足らぬ幸せでした。

私が生まれた昭和20年代は食糧も豊富でなく、食べたいものも食べられぬ時代でした。遠足の朝、母がそっとリュックに入れてくれた1本のバナナの味は今でも忘れません。メタボや生活習慣病など誰もいませんでした。足らぬから幸せだったのです。

腕にチクリと違和感をおぼえました。見ると一匹の蚊がとまっています。腹いっぱい血を吸ったと見え、まるまると膨らんでいます。重くて飛ぶことができません。下にポトリと落ち、つぶされてしまいました。腹8分目で満足しておけば助かったものを……。足りたがための不幸せです。

 美しくなりたい、女性なら誰もが思う願望です。しかし、美人が幸せになれるとは限りません。美しさは少しばかり足らぬほうが、女性は幸せになるような気がします。

もらうのはあたりまえ、親の遺産に感謝など一切なし、「足るを知らず」双方一歩も譲らない、相続争いは勝っても負けても不幸になります。ご先祖様が汗して残してくれた尊い財産を分捕り合うわけですから、天罰こそ当たれ幸せになれるはずがありません。

「幸せのなかに住む人は幸せが分らない。幸せは手に入れるものでなく、感じるもの気付くもの。」小林正観さんの言葉です。 

「素直」な人は「謙虚」になれます。謙虚な人は「感謝」に気付きます。感謝があれば「譲る」ことができます。譲り合う相続は感動し、こちらまでが幸せな気持ちになります。

「足るを知る」人は「足らぬ幸せ」に気付きます。

誠実

真に個性的な人の根底は「誠実」である。
それというのも、
一切の野心、さらには「我見」を焼き尽くさねば、
真に個性的な人間にはなれないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

この通りだと思います。
単に我が強いのは個性が強いだけです。

複写はがき

人間の書く物の中で、
読まれることの一番確かなものは「手紙」である。
それ故できたら複写紙で控えをとっておくことは、
書物を書くのと比べて幾層倍も大事なことといえよう。
[ 森信三 一日一語 ] より

森信三先生が考えられたと言われている複写はがき。
今日の一枚で五千五百九十枚目です。

二重の真理

(一)われわれのこの人生は、二度と繰り返し得ないものだということ。
(二)われわれは、いつ何時死なねばならぬかもしれぬということ・・・
この二重の真理が切り結ぶことによって、
はじめて多少は根性の入った人間になれるといってよかろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

その通りですね。

正直

正直という徳は、
われわれ人間が、世の中で生きていく上では、一ばん大切な徳目です。
それ故「正直の徳」を身につけるためには、
ひじょうな勇気がいるわけですが、
同時に他の一面からは、相手の気持ちを察して、
それを傷つけないような深い心づかいがいるわけです。
[ 森信三 一日一語 ] より

正直が関係者を傷つけることがあります。
正直である勇気。傷つけない心づかい。
バランス感覚が重要です。

福徳一致

人間の真価と現世的果報とは、
短い眼で見れば合致せずとも見ゆるべし。
されど、時を長くして見れば、
福徳一致は古今の鉄則なり。
[ 森信三 一日一語 ] より

信念をもって行動する事。
先日の小宇宙論と通ずるように思います。