人間を知ることは現実を知ることのツボである。
わたくしが人間に対して限りなき関心をもつのは、
生きた人間こそ無量な「真理の束」だからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
現実。
避けられないことです。
人間を知ることは現実を知ることのツボである。
わたくしが人間に対して限りなき関心をもつのは、
生きた人間こそ無量な「真理の束」だからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
現実。
避けられないことです。
愛する前に理解がなければならぬ。
同時に愛しなければ真の理解は得難い。
それ故かかる処にも、生きた真理は、
すべていのちの円環を描いていることが分明である。
[ 森信三 一日一語 ] より
奥が深いです。
真の理解。
なかなかできません。
仏・魔の間、
真にこれ紙一重のみ。
[ 森信三 一日一語 ] より
紙一重なんですね。
この世の事はすべて借金の返済であって、つまる処天のバランスです。
すべてが「宇宙の大法」の現れだということが解ったら、
一切の悩みは消えるはずです。
[ 森信三 一日一語 ] より
そうなんですね。
悩み解消法の極意です。
真に個性的な人の根底は「誠実」である。
それというのも、
一切の野心、さらには「我見」を焼き尽くさねば、
真に個性的な人間にはなれないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
そうねんですね。
頷けます。
人間はいくつになっても、名と利の誘惑が恐ろしい。
有名になったり、お金が出来ると、
よほどの人でも、ともすれば心にゆるみが生じる。
[ 森信三 一日一語 ] より
有名にならなくても、少し褒められると心が緩みます。
気を付けたいですね。
「救い」とは「自分のような者でも、尚ここにこの世の生が許されている」・・・
という謝念でもあろうか。
そしてその見捨てない最後の絶対無限な力に対して、
人びとはこれを神と呼び仏と名づける。
[ 森信三 一日一語 ] より
神とはそういものなんですね。
生かされている。
ありがいことです。
善悪・優劣・美醜などは、すべて相対的で、
何ら絶対的なものではない。
何となれば、いずれも「比較」によって生まれるのであり、
随って尺度のいかんによっては、逆にもなりかねないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
そのとおりです。
でも、比較から考えてしまいがちです。
公生涯にあっては、出所・進退の時機を誤らぬことが何よりも肝要。
だが相当な人でも、とかく誤りがちである。
これ人間は自分の顔が見えぬように、
自分のことは分からぬからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
一番わからないのが自分かもしれません。
自己の力を過信するものは、
自らの力の限界を知らぬ。
そして力の限界が見えないとは、
端的には、自己の死後が見えぬということでもあろう。
[ 森信三 一日一語 ] より
頷ける言葉です。