玄米食は、我われ日本人の「食」の原点である。
それ故玄米食を始めると、
かえって味覚が鋭敏になる。
[ 森信三 一日一語 ] より
玄米はいいですね。
毎日食べています。
玄米食は、我われ日本人の「食」の原点である。
それ故玄米食を始めると、
かえって味覚が鋭敏になる。
[ 森信三 一日一語 ] より
玄米はいいですね。
毎日食べています。
すべての悩みからの脱却には行動が必要。
「南無阿弥陀仏」という念仏称名もそのひとつ。
手紙を書くのも掃除をするのも、
はたまた写経をするのも・・・
それぞれに良かろう。
[ 森信三 一日一語 ] より
考えていてもすすみません。
行動してみることです。
「世の中は正直」とは、
神は至公至平・・・というに近い。
[ 森信三 一日一語 ] より
不平不満は言ってはいけない。
思ってもいけない….。
わたくしには何も出来ませんが、
ただ人さまの偉さと及び難さを感じる点では、
あえて人後におちないつもりです。
[ 森信三 一日一語 ] より
「人の偉さ」「及び難さ」を感じる。
このことを誰にも負けないと言われています。
森先生の偉大さを感じます。
真人と真人とが結ばれねばならぬ。
現在わたくしが最も努力しているのは、
縁のある真人同士を結ぶことです。
[ 森信三 一日一語 ] より
森先生の凄さです。
私の相続の師匠も森先生と同じことをやり続けています。
ありがたいです。
多少能力は劣っていても、
真剣な人間の方が最後の勝利者となるようです。
[ 森信三 一日一語 ] より
真剣
同じ時間をかけるなら本気でやりたいですね。
われわれ人間は「生」をこの世にうけた以上、
それぞれ分に応じて、一つの「心願」を抱き、
最後のひと呼吸までそれを貫きたいものです。
[ 森信三 一日一語 ] より
ひと呼吸まで……。
貫ける心眼をもつこと。
それは不変の真理でなければなりません。
最深の愛情とは、ある意味では人生の無常を知らせることかも知れません。
そしてそれには、教える者自身が、
日々無常に徹して生きていなければ出来ることではないでしょう。
[ 森信三 一日一語 ] より
無常に徹して生きる。
そのためには、そのままの自分で生きること。
そのように思えます。
ものごとの処理は、まず手順を間違えぬことから。
しかしそれには、あらかじめ、準備しておく必要がある。
[ 森信三 一日一語 ] より
準備の大切さ。
いつも身に染みています。
人間は、進歩か退歩の何れかであって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している証拠である。
[ 森信三 一日一語 ] より
そうですね。
気付かない内に退歩していることが多くあります。