街路樹に感謝 野口レポートNo336

前を通る南武沿線道路が開通したのは昭和39年でした。その時から歩道には街路樹の「ゆりの木」が植えられています。落葉樹なのでこの季節になると歩道一面に枯葉が落ちてきます。この落ち葉を掃くのがひと仕事、やっと掃き終わっても風のひと吹きで元に戻ってしまいます。いつも文句を言いながら掃いていました。

朝7時の歩道の掃除は日課です。ある時、大事な事に気付きました。この木は2代目になりますが、大きく育ち「夏は葉が生い茂り事務所に入る西日を遮ってくれている。冬は葉を落とし暖かな光を事務所のなかに入れてくれている。」こんな有り難い事になぜ気付かなかったのか、自分の未熟さを恥ずかしく思いました。

「ありがとう」の語源は「有り難い」です。つまり、「ある」ということはなかなかないことなのに「ある」のです。それは幸せなことです。だから「ありがとう」なのです。

「ある」のが当然と思っていることは「有り難い」の正反対です。だから反対語は「当たり前」なのです。

有り難いは身近なところにあります。当たり前と思わず、感謝できるかどうか、気付くことで人格は形成されていきます。

街路樹の有り難さに気付いてから、落ち葉の掃除も苦にならなくなりました。ありがとうと感謝の気持ちで掃いています。

先日この木に張り紙がしてありました。「この樹木は管理に支障があるので伐採します。道路公園センター」とありました。

葉が青々と茂った元気な優良樹なのになぜ切るのか、役所の担当部署に問い合わせてみました。原因は横断歩道の邪魔になっており、公共の安全を優先するとのことでした。50年も放置しておき何をいまさらと思いました。

数日後、市から伐採を委託された業者が、ごみ回収車、クレーン車、高所作業車、作業員が4人と、ものものしい出で立ちで現れ、枝を払い幹の頭をクレーンでつまみ後は輪切りです。ゆりの木のあっけない最後でした。残骸(切り株)をさらけ出し、後は伐根されるのを待っているだけです。樹木といえ可哀想な気がします。

もし樹木が歩くことができたなら、どこか住み心地のよい場所を見つけ根を張ることもできるでしょう。が、それはかないません。植物は自分の住むところを選べないのです。この木も「座して死を待つ」しかありませんでした。

人間はいつも、不平不満、グチ、泣きごと、悪口、文句を言っています。植物は崖だろうが道路だろうがドブだろうが、種が落ちたところに根を張り、一切文句を言わず一生懸命生きています。人間も生きる強さを学ぶべきだと思います。

人が亡くなる時は、寂しさと同時にあっけなさを感じます。樹木も同じだと思いました。半世紀にわたり、南武沿線道路の街路樹として、私どもを見守ってきてくれたゆりの木に感謝し合掌です。

重さは同じ 野口レポートNo335

10年ほど前に相続税基礎控除が大幅に引き下げられました。庶民にとって相続税など無縁でしたが、この改正により首都圏ではサラリーマンの相続でも自宅があれば課税の可能性があります。

しかし、相続税には「小規模宅地の特例」という大バーゲンがあります。厳格ですが要件を満たせば自宅敷地330㎡までは20%評価となり80%の評価減が受けられます。この特例で相続税はセーフなんて人も結構います。ただし相続税の申告が必要です。

最近はこの層からの相談や依頼が多く身の上相談まであります。

《案件1》Aさんから「実はガンで、医師からは余命1年と言われている」と相談を受けました。公正証書遺言を作ってほしいと頼まれました。家族が揉めることのない相続を望んでいます。

Aさんが悔いなく旅立てるようお手伝いをしてあげたい、そんな気持ちで取り組みました。遺言を作成してから1年半で亡くなりました。相続も円満に完了しAさんの願いはかなえられました。

《案件2》ご主人が急逝されました。相続人は奥様とご主人の兄弟姉妹(代襲者を含む)が9人です。相手には夫に先立たれた奥様の気持ちと経済事情を丁寧に伝え、相続を辞退してくださるようお願いしました。8人が譲ってくれました。権利を主張していた最後の1人も他の8人が辞退したことを知り譲ってくれました。

《案件3》あと1人というところで、最後の相続人が重度の認知症でした。私では認知症に対応できません。士業へつなぎ無事完了しました。成功報酬なので交通費(実費)のみを請求しました。労多くても成功しなければ実になりません。「お疲れ様」と言葉をかけられると思いきや、先生・先生と言っていた依頼者の言葉づかいと態度がガラリと変わりました。相続いろいろ、人間もいろいろです。めったにないケースですがくやしい思いをしました。

《案件4》親と同居しているBさん夫婦がいます。両親から大きなストレスを受けています。何回か面談し私の答えです。「親を捨てろ」それしかない、それで全てが解決する。Bさんは「長男だし親を捨てることなどできない」でした。私も長男なので気持ちは分かります。が、このままでは心を壊されてしまいます。

その後、事態が一変し家を出なければならなくなりました。本人はアパート住まいになりました。親と顔を合わすことがない、干渉されることも一切なくなった、親の呪縛からやっと解放され、ストレスも解消し心にも余裕ができました。趣味を見つけたり、夫婦で旅行に行ったり、充実した日々を過ごしています。「アパート住まいだが前と比べたら天国だよ」と言っていました。結果として「親を捨てる」ことになったBさんは人生を取り戻しました。

人は生きている限り、誰でも悩みや苦しみを持っています。荷物の大きさは違ってもその重みは同じです。ここを理解して差し上げることは相続アドバイザーとして大切です。

60代の10年間は黄金の時間 野口レポートNo334

昔は還暦になると、赤いちゃんちゃんこと頭巾をかぶり、お年寄りになったことを祝ったものです。誰が見ても当時の60才は立派な「おじいちゃん・おばあちゃん」でした。

私は昭和21年の生まれです。「光陰矢の如し」とはよくいいますが、アッという間の78年でした。

振り返ってみると、60才から70才までの10年間は「黄金の時間」でした。いま思えば第2の青春の入り口のようなものでした。大人の雰囲気が出てくる歳にもなり、まだ体力気力も十分ありました。若い頃に考えていた60才とはずいぶんと違いましとした。

60代、この10年間の「黄金の時間」に色々なことができました。いくつかをあげてみましよう。

6時間ぶっ続け「出し昆布」セミナー。
相続の法律や税務を語れる人は多くいますが、心の部分を語れる人はいません。「出し昆布」は自分の持っている全てを相手のために出し尽くします。相続に関して私が持っている「知識・経験・ノウハウ・心」を全て出し尽くします。名付けて、6時間ぶっ続け「出し昆布」セミナーです。立ちっぱなし、話しっぱなしで6時間です。100人を超える会場もありました。心の相続をテーマに依頼を受け、九州から北海道まで全国に講演に行ったのも60代でした。

著名な税理士先生のラジオ番組にゲストとして呼ばれ、「心の相続」をテーマに3回ほど対談させていただきました。

毎月発行している「野口レポート」を編集し、「心をつなぐ相続」として初めて出版することができました。ライターは使いませんでした。街の本屋さんに並んでいる自分の本をみて感激しました。

旅行等も積極的に参加しました。足腰も衰えを感じることなく、親しい友人家族らと一緒に行った旅行は楽しい思い出です。

4人姉妹が揉めていた長崎の五島列島や、別件で与論島にも行きました。精神的にも成長し、体力・気力もみなぎっていました。

 それから数年がたち後期高齢者と呼ばれる歳になりました。以前のように足が上がらない、駅へ行くにも若い女の子に抜かれる、座って立つのが難儀になってきた、お酒の量も少なくなった。

最近になって体力の衰えをはっきり感じるようになりました。現実を素直に受け入れることは大切です。年は、どんなに大金持ちでも、いくら貧しくても平等です。同じように重ね老後をむかえます。自分もあと2年で80才の大台にのります。その時の体力はどうでしょうか、衰えを補うのは気力しかありません。私を必要としている人はまだいます。これからも現役を続けていくなかで、いかに気力を保つことができるかが勝負です。

60代はまさに第2の青春です。還暦をむかえた人、これからむかえる人も、老いている暇などありません。この素晴らしい時間を充実して過ごしてくださるよう願っています。

濃紺の背広との別れ 野口レポートNo334

人生には出会いもあれば別れもあります。10数年間苦楽をともにしながら、私の生き様を見てきてくれたパートナーがいます。それは1着の濃紺の背広です。捨てがたく、もう1年、もう1年と、つい着込んでしまいました。さすがに色あせ、ほころびも目立ち、いよいよ限界となりました。

あるおばあちゃんが相談にみえました。数10年前に父親が亡くなり、その後に母親が亡くなりました。まだ相続手続きをしていません。名義を変えてほしいとの相談です。母親は父親(夫)の相続人の立場と、被相続人の立場を持つことになります。遺産分割協議書での母親の表示は「相続人兼被相続人」となります。

遺産は約40坪ほどの土地です。相続人は妹が1人とのこと、妹からは姉が相続する同意を得ているとのことです。司法書士をセットして相続登記をすれば済む話と思われました。が、このおばあちゃんは1人暮らしです。いわゆる独居老人です。話を傾聴していくうちに、ご主人と離婚をしているとのこと、父親の土地の上にある建物は別れたご主人とおばあちゃんの共有になっていること、2人の子供は事情があり、おばあちゃんの面倒を見るのは難しいことが分かりました。この相続問題の本質は何かを考えました。ひとり暮らしをしているおばあちゃんが頼りになるのはお金です。

相続した土地を将来換金し、老人ホームなどの費用にあてる必要があります。ここで問題が出てしまいました。相続する土地上の建物は元ご主人との共有です。土地を売るには建物の解体の承諾を取っておくか、おばあちゃんの単独所有にしておく必要があります。

元ご主人のところへ行きました。丁寧に事情を説明し、建物の持分を贈与してくれるようお願いしました。こちらの誠意が通じ贈与契約書にハンコを押してくれました。建物は築年数も経過し持分も半分なので評価も低く贈与税の負担はありません。

これでこの土地をいつでも売却し、老人ホームの費用にあてることができます。その時は私が仲介することを約束し一件落着です。おばあちゃんからは「神様だよ」と言われました。

相続アドバイザーは弁護士や税理士などの専門家ではありません。士業でない者が、相続の世界で生きていくには「問題点を感じ取る感性」と「本質を見抜く目」そして「思いやりの心」を、知識以上に身につけておく必要があります。

小さな仕事だとお思いでしょうが、相談者にとって荷物の大きさは違ってもその重みは同じです。どんな小さな仕事でも相手のために全力で取り組む気持ちがなければ大きな仕事はできません。

よい仕事をした後は心地よいものです。この相続案件が長く連れ添ってきたパートナー(背広)との最後の仕事になりました。シワを伸ばし丁寧にたたんで、長い間お世話になったパートナーに別れを告げました。「ありがとう」の言葉が自然と出てきました。

生命保険の性質を知る 野口レポートNo333

生命保険受取金は契約形態により、税法上での扱いが異なります。大きく分けて次の3パターンがあります。契約者が保険料を払っていることが前提です。被保険者とは亡くなった人のことです。

《パターン1》 契約者(父) 被保険者(父) 受取人(子・母)、ここでお金の流れを見てみましょう。お金は保険会社から支払われます。が、保険料を払ったのは父です。亡くなった父から子や母が受け取ったことになるので「相続税」の課税です。

受け取った保険金は、500万円×法定相続人の数=非課税となります。非課税の枠を超えた保険金は相続財産に取り込まれ課税の対象となります。この受取金は民法上の相続財産になりません。よって遺産分割は不要です。指定された受取人が取得できます。相続放棄した相続人でも受け取ることができます。

《パターン2》 契約者(子) 被保険者(父) 受取人(子)、子が保険料を払い、自分が受け取るので「所得税」の課税です。

一時所得の1/2に課税です。お金持ちの納税対策に使われます。

《パターン3》 契約者(母) 被保険者(父) 受取人(子)、

保険料は母が払っています。存命している母からお金を受け取ったことになるので「贈与税」の課税です。いちばん悪い契約パターンです。専門家と相談し契約の変更を検討してください。

ある母親が亡くなりました。父親はすでに他界しており、相続人は兄と妹の2人です。母親には生前に某銀行に2000万円の普通預金がありました。取引先の銀行マンにすすめられ、パターン1の契約で、500万円の一時払いの生命保険(受取人兄)に加入しました。これを年間1回、4年繰り返し、2000万円の普通預金が、2000万円の生命保険に入れ替わりました。

高齢の母親には何の意図もありません。昔から知っていた銀行マンの成績稼ぎのために言われるままです。この生命保険がどういう保険なのか受取人の兄に説明しました。

ここからが私のアドバイスです。「法律ではこの受取金は民法上の相続財産にはなりません。指定されている兄が受け取れます。しかし、4年前までは銀行預金です。本来は兄が1000万円、妹が1000万円を相続することができたはずです。ここは法律でなく常識で考えてみましょう。」このまま2000万円を外し、遺産分割したら妹は納得しないでしょう、兄には一歩譲り1000万円を代償金として妹に払うことをアドバイスしました。兄は素直に聞き入れてくれ、妹も納得し遺産分割協議は1回で完了しました。

また、パターン1の契約は、自宅と預金少々の庶民には、預金を生命保険に置き換えることで相続財産を減らし(遺留分も減る)、受取金で遺留分侵害額請求への対応もできる遺留分対策も可能です。

生命保険はその性質を理解し、上手に活用したらシンプルで安全な相続対策として効力を生じます。

心に残る相続案件《1》 野口レポートNo331

この仕事を30年もやっていると、良い悪いは別として、いつまでも心のなかに残る相続案件があります。

祖母、父母、長女、長男、二男が同居している家族がいます。長女のA子さんが小学生の時に両親が離婚しました。母親は2人の男の子を連れて家を出ていきました。父親も再婚し家を出ていってしまいました。祖母は残された小学生のA子さん(孫)を自分の養子にし、立派に育てあげました。

やがて成長したA子さんは、祖母の食事の世話や家事、病院への送り迎え、散歩の付き添いなど、かいがいしく世話をしました。

20歳になったA子さんは、祖母の晩年を介護し、最後を看取りました。父親や伯母は母親の介護をA子さんへ押しつけ、自分達は一切かかわりませんでした。

縁あってこの相続のお手伝いをすることになりました。祖母は自筆の遺言を残していました。遺言の検認で相続人全員が家庭裁判所(家裁)に呼ばれ、私もA子さんに付き添いました。

開封した遺言の大まかな内容です。「あまり財産は残らないと思いますが、幾らかでも残りましたら孫のA子にあげてください。A子は私の食事から家事、お医者さんへの送りむかえ、散歩など、本当に良くしてくれました。何より一緒に暮らしてくれて寂しい思いをしないですみました。もし財産が残ったら全部A子にあげたい。

長女のB子は遺留分として取るでしょうが、贅沢もせず旅行にもいかず、一所懸命働いて貯めたお金です。私につくしてくれた者にあげたい。長男のC男はもう十分お金をかけたつもりです。」自筆で書いた遺言からは祖母の心情が切々と伝わってきます。

祖母が思いを込め一生懸命に書いた自筆証書遺言です。が、不備があり法的要件を満たしておらず無効と思われます。

しばらくしてC男さんとB子さんの代理人を名乗る弁護士(O先生)から、A子さんへ遺留分減殺請求(現在は遺留分侵害額請求)の内容証明が届きました。弁護士は遺言が無効であろうが、有効であろうが、時効を止めるため取りあえず減殺請求をしてきます。

A子さんには弁護士に依頼するお金がありません。私は相続で代理人にはなれません。相手方のO先生に会いにいきました。当方の事情を説明し、私がA子さんのメッセンジャー(使者役)としてO先生との間を取りもつことはできるかと聞きました。当時のことです、使者ならいいでしょうと受け入れてくれました。

3年が経過し何とか決着にこぎつけました。祖母(実母)の切なる願いを踏みつぶし、義務を果たさず権利だけは満額主張する父親や伯母からは、人として思いやりを感じることはありませんでした。

数年後、試練をのりこえ頑張っているA子さんから、うれしい知らせをいただきました。結婚をするとのことです。A子さんの人生の一部に、ほんの少しお付き合いさせていただいた一人として、幸せを願わずにはいられません。

得るは捨つるにあり(パート2) 野口レポートNo331

人は長い人生のなかで窮地に立ったり、決断を迫られることがあります。それがいつ来るか分かりません。財産や地位や見栄など思い切って捨てる覚悟ができれば光がさしてきます。

いま国会が裏金問題で揉めています。何か不祥事があると議員辞職が話題になります。いさぎよくバッジを捨て、心を改め精進すれば「みそぎ選挙」で勝機も出てくるというものです。

相続で譲った人が幸せになる、この不思議な事実も「捨てる(譲る)から得られる」のではないでしょうか。

地主の貸宅地の経営は、雨漏りやリフォームの必要もなく、適切な地代や更新料を取っていたら悪い商売ではありません。が、相続税を考えると、資産のように見える負債です。貸宅地の相続税を地代から取り戻すには何年かかるでしょうか、やっと取り戻したと思ったら次の相続が忍び寄っています。思い切って生前に整理をしておけば結果として財産を残すことができます。

〇〇製薬のサプリメントが社会問題になっています。お金を使い美味しい物をたくさん食べる。コレステロールが上がる。お金を使いサプリで下げる。スリムな身体や健康を得るには「腹八分目」、飽食を捨てることです。「あんな思いをするなら太ったままでいい」数年前に無理なダイエットで九死に一生を得た女性の言葉です。

近年、世の変遷はすさまじいものがあります。我々高齢者は時代の変化に心がついていきません。心にも「老眼鏡」をかけ、古いものを捨て、新たなものを受け入れる心構えが必要です。

朝ドラ「ブギウギ」が終わりました。最終回の東京ブギウギは圧巻でした。主演を務めた俳優の趣里さんは、「笠置シヅ子」を見事に演じてくれました。俳優と歌手を両親に持つ天性の血筋を感じます。

戦後の世の中を歌と踊りで明るくしてくれた大スター歌手の笠置シヅ子さん、40歳の若さで歌を捨てることを決断し歌手を引退しました。惜しまれてやめる見事な引き際でした。

時は平成5年になります。30年間続けてきたG S(ガソリンスタンド)も老朽化が目立ち、大改装を施しこのまま続けるか、閉店するか、苦渋の決断を迫られました。

自分の歳(48歳)からして転業するにはラストチャンス、思い切って閉店を決断しました。まだ惜しまれてやめられた時期でした。もし5年遅かったらこの決断はできなかったでしょう。

当時はこの狭い地域に8店舗ものG Sがひしめいていました。最初に閉店を決断したのは私のところでした。30年の間に歯が抜けるように7店舗が閉店し、かろうじて1店舗が残っています。

あのまま続けていたら自分の人生はどうなっていたか、考えるとゾッとします。思い切って捨てたから今があるのです。

人生で決断を迫られた時、にっちもさっちも行かなくなった時、「得るは捨つるにあり」この言葉を思い出してください。

相続と少子化を考える 野口レポートNo330

私が相続の仕事に就いたのは平成6年です。この時代は遺産分割協議で揉めてしまう相続が少なくありませんでした。が、ここ近年は分割協議で揉めることは減ってきています。

旧家や資産家は別にして、一般的には相続は法律通り(法定相続分)との考えが定着しつつあること、加え相続人の数が少なくなってきたことに原因があるような気がします。

以下は最近扱った相続案件10件の相続人の数の内訳です。

相続人が1人…4件、②相続人が2人…3件、③相続人が3人…

2件、④相続人が15人…1件。

☆相続人が1人⇒10件のなか40%も占めています。そのほとんどは一人っ子です。親より先に他の兄弟姉妹が亡くなり、代襲者がいなければ、子は1人なんてこともあります。相続人がお一人様なら分割協議は不要です。余計な神経と気は使わなくて済みます。

 税理士と司法書士をコーディネートし、相続税の申告、不動産の相続登記、銀行等の預貯金の解約など、ひとつずつ手続きを進めていけばいい話です。こんな楽な相続案件はありません。

☆相続人が2人⇒相続人の意見は2通りしかありません。同じ意見なら問題はありません。もし意見や考えが違ったら、どちらかに少し譲ってもらうことができるかがポイントになります。

☆相続人が3人⇒配偶者(母親)がいるか、いないかで状況は変わってきます。母親は大きな説得力があります。子ども達も従わざるを得ないでしょう。配偶者がすでに他界し、子が3人の場合でも、多数決ができる数なので何とかまとまります。

子が親より先に亡くなっていたら代襲者がいます。良好な関係を保っているオイやメイならば伯父さんや伯母さんには逆らいません。それなりの代償金で納得してくれます。が、代襲者が疎遠の場合、なかには「自分の権利は当然だ」と、1円たりとも譲らず真っ向から権利を主張してくる強者もいます。

☆相続人15人⇒第3相続順位のレアーケースです。本来もらえない「棚ボタ財産」です。故人を世話した人や面倒をみた人がいなければ均分が公平です。何人いようが法定相続分でほぼ決まります。

少子化の話になります。団塊の世代が「後期高齢者」となる時代に入りました。理想の人口構成はピラミッド型です。下にいる現役で元気印の多くの人達が、上の三角部分にいる高齢者を支える。

ところが今の日本は少子化です。このままでは将来は逆ピラミッドになってしまいます。100歳時代をむかえ、高齢者は増え続けています。はたして子が支えられるでしょうか。

遅まきながら国も子育て支援等の少子化対策を打ち出しています。しかし少子化は単なる経済問題ではなく、もっと奥深いところに根本的原因があるような気がします。相続人の数が減り相続は楽になりました。が、少子化は国の根幹を揺るがす大問題です。

売買と贈与の契約 野口レポートNo329

私達が日常さりげなく行っている行動ですが、その多くが契約という法律行為になります。

契約の最たるものである不動産の売買を例にとってみましょう。買主のこの土地を「売ってください」との意思表示(申込)に対し、売主の「売りましょう」という意思表示(承諾)がありました。買いましょう、に対し売りましょう。買主と売主の意思が合致し売買契約が成立します。なお契約は口頭でも成立します。

売主には売買代金をもらう権利(債権)と、土地を引き渡す義務(債務)が生じます。買主には土地を引き渡してもらう権利(債権)と、売買代金を払う義務(債務)が生じます。契約は約束事です。約束は守らなければなりません。

契約のなかに「履行に着手するまでは、買主は手付金を放棄し契約を解約ができる。売主は手付金を倍にして返すことで契約を解約できる」とあります。分かりにくいのは「履行に着手するまでは」この条項です。魚屋さんに例えてみましょう。

「この魚をください」お客さんの申込みに対し、「毎度ありがとうございます」魚屋さんの承諾があり、売買契約が成立しました。  お客さんが財布を開けた時が履行に着手です。魚屋さんの包丁が魚に入った時が履行に着手です。

次は贈与契約について考えてみましょう。贈与契約で一番大事なことは、贈与を受ける側にもらう意思があるかどうかです。贈与者の「あげます」との一方通行では贈与契約は成立しません。

例えば、親が毎年100万円を贈与として子に振り込みます。子はこのお金を10年間一度も手をつけていません。子にもらう意思がないとみなされたら、贈与は無効になってしまいます。もらったお金は一部でもよいから使うことです。

「いつもお世話になっています。ほんの気持ちですが」このあげますとの意思表示に対し、「ご丁寧にありがとうございます」もらいますとの意思表示がありました。普段さりげなく行っている中元歳暮ですが、これも立派な口頭での贈与契約です。

贈与には年間110万円までは非課税の「暦年贈与」と、相続時に贈与を相続財産に戻す「相続時精算課税制度」があります。この贈与に大きな改正が入りました。暦年贈与は相続開始前3年以内の贈与は相続財産に戻すとあります。3年が7年となり、対策は親の長生きが前提となります。精算課税は2500万円の特別控除とは別に、基礎控除の創設で年間110万円以下までは非課税となり、この部分は贈与税申告と相続財産への持ち戻しが不要です。

精算課税には一定の要件があります。また一度選んだら暦年贈与は生涯使えません。選択は税理士や専門家と十分協議してください。精算課税を選んでいる人は、相続税申告の時には必ず税理士に伝えてください。ここを誤ると後で余計な手間がかかります。

二度二度童子 野口レポートNo328

老いて意思能力を失った人のことを、今では認知症とよんでいます。東北地方のある地域では、このようなお年寄りのことを「おじいちゃん・おばあちゃんは、子どもにかえってしまったんだなぁ~」というので、二度童子(にどわらし)といっているところがあります。何とも温もりのある言葉ですね。

認知症を発症したお年寄りの行動は赤ちゃんと似ています。赤ちゃんは、おしっこを漏らしても、ミルクをこぼしても、誰からも文句をいわれません。成長過程だからニコニコして見ていられます。

ところがお年寄りの「二度童子」となると、実際に直面する現実の厳しさが心での受け容れを難しくしてしまいます。

在宅介護の現場は、すさまじいものがあります。実際に親を介護し、体験した人でなければその苦労は分かりません。

Aさん夫婦が寝たきりの父親を在宅介護しています。下着を換えシーツを換えます。息つくまもなく父親はまた便意を訴えます。「ビニールビニール早く」ご主人が声を荒げます。が、間に合いません。素手で受けた下痢便が指の間から滴り落ちます。これが現場です。

介護の先には必ず相続が待っています。この相続を引き受けました。Aさん夫婦に感謝し、介護の労をねぎらう兄弟姉妹は誰もいません。遺産分割協議では当然のように権利を主張してきました。

野口塾に、NPO法人相続アドバイザー協議会理事長の平井利明さんがいます。認知症を発症し、排尿、排便、徘徊をする父親を、在宅で介護し最後を看取った人です。ご本人はこの体験が相続アドバイザーとして成長する大きな糧になったと言っています。

最初は「何で自分がこんな目に」と思ったそうですが、介護を続けていくうちに「ありがたい」と思えてきたそうです。

平井さんからある詩を教えていただきました。「手紙~親愛なる子供たちへ~」です。詩を聞いた時、涙が止まらなかったそうです。

「年老いた私が 今までの私と違っていたとしても どうかそのまま私のことを理解してほしい」こんな書き出しで始まります。

子は親になり、親はいずれ老いていきます。健康寿命が尽きれば、いずれ「二度童子」となるでしょう。

食べ物をこぼすこともあるでしょう。下着を濡らすこともあるでしょう。足も衰えてくるでしょう。そんなとき叱らないでください。あなたが赤ちゃんの時と同じです。そんなあなたを親は愛情こめて付き添ってくれました。

今度はあなたが付き添う番です。親の恩に気付いてください。あなたの人生の始まりにしっかりと付き添ってくれたように、親の人生の終わりに少しだけ付き添って差し上げてください。

賞味期限が終わり、枯れていく自分にも「二度童子」となる日がくるかも知れません。健康が保たれてこそ、初めて長寿の意味があります。長生できるなら健康寿命を願うばかりです。