気を使い、お金を使い、時間を使う 野口レポートNo342

相続の仕事をしていると弁護士先生のお世話にならなければ対応ができないことがあります。下記の項目はよくある事例です。

遺留分侵害額請求権の行使、もしくは行使された時の対応

ウンともスンとも言わず、相手が無視を続ける

調停が不調に終わり審判に移行してしまった

何回協議しても遺産分割がまとまらず法律で裁くしかない

相手が代理人(弁護士)を立ててきた

以下は弁護士先生にお世話になった典型的な事例です。

◎兄と弟の2人兄弟で弟さんからの相談です。兄は奥様と長男と長女の4人家族でした。

高齢の兄は数年前に奥様に先立たれひとり暮らしです。介護が必要となり、近くにいる弟夫婦が、買い物、食事の支度、入浴のお世話、通院の付き添いなど、親身になって世話をしています。

 嫁いだ長女は義父母と同居しており、独身で疎遠の長男は離れた所に住んでいます。2人とも父親の世話を叔父夫婦にまかせっきりで、有難いとの感謝の気持ちがありません。

兄は全財産を弟に遺贈するとの公正証書遺言を残していました。遠くにいる疎遠の身内より、親身にみなって世話をしてくれている身近な人に自分の財産を渡したくなるのは人情です。

そして兄が亡くなりました。49日の法要も済ませ、遺言があること、遺留分を戻すことを伝えました。姪は納得したのですが、甥は理不尽な要求を繰り返してきます。さらに弁護士から遺留分侵害額請求の内容証明が届き裁判となりました。正義はこちらにあります。だが常識が法律に勝てぬことなどこの世界の常です。

いよいよ裁判も大詰めとなり、明日は原告(甥)と被告(叔父)の証人尋問です。普通の人が法廷に立つなど生涯に一度あるかないかです。本人は緊張し前夜は眠れなかったそうです。自分達がやってきたことを「ありのまま話せばよい」と背中を押しました。

いよいよ開廷です。傍聴席のすぐ前に証人台があり、傍に私がいるので本人も気持ちが楽になったそうです。正面1段上に裁判官席があり、その下に書記官席、左手に原告の弁護士席、右手に被告の弁護士席があります。

互いの弁護士が被告と原告に一通りの質問をしたあと、最後に裁判官から「それでは裁判所からの質問です」と、双方にいくつかの質問があり、3時間ほどで閉廷となりました。

弁護士チームの適切な対応も功を奏し、数日後に当方の主張にそった和解が成立し、ご夫婦は長い間の呪縛から解放されました。気がつけば内容証明が届いてから3年の歳月が過ぎていました。

最後まで寄りそってきましたが、やむを得ず裁判となれば、精神的かつ経済的な負担に加え、貴重な時間を費やします。そして何よりも大切な財産(家族や親族の絆)を失います。

本質を見抜く視野と思いやり 野口レポートNo341

ご主人に先立たれ、第3相続順位の代襲相続人が12人いるAさんの相続を前回お話ししました。Aさんは私の事務所の前をご主人と一緒にいつも通っていたそうです。そして一度ここへ相談に行かなければと、ふたりで話をしていたとのことでした。

ところが法律事務所だと思い込んでしまい、敷居が高いのではないか、相談料も取られるだろうと入るのを躊躇していました。そうしているうちにご主人が亡くなってしまいました。

弊社には敷居などありません、相談は何回でも無料です。最近は相続だけでなく福祉の相談もあります。誰もが気軽に入れる相続と福祉の相談室として地域に貢献できれば存在価値が出てきます。

生前に相談にこないで運が分かれる人もいます。無料相談の看板がAさん夫婦の目に入らなかったのが悔やまれます。

相続相談は一般には馴染みがなく足が向かないのが現実です。生前に相談を受ければ可能なことも、認知症の発症や相続が開始してしまってからではできることは限られてしまいす。

子のいないAさん夫婦の状況を聞いた専門家なら、誰もが遺言の作成を提案してくれたと思います。そして全財産は円滑に相続でき、Aさんは辛い思いをしなくて済んだはずです。相談は相続が開始する前か後かでは、時には天と地の差になることもあります。

無料相談だけで問題が解決してしまうことも少なくありません。

Bさん(45才独身長女)からの相談です。父親が亡くなり相続人は母親とBさんです。主な財産は自宅で相続税の課税はありません。

母親は末期ガンで医師から余命を告げられている、相続手続きは10か月以内と言われた、期限は迫ってくる、相続など初めての経験で、何もわからず毎日モンモンしているとのことでした。

無責任な知識や情報に惑わされてしまう人もいます。助言をした人は相続税申告期限(10か月以内)と、相続手続きを混同していると思われます。この相続に相続税申告義務はありません。

話を傾聴してみると、遺産の預金はすぐには必要ない、Bさんの目的は自宅に住み続けることができればとのことでした。

「このままにしておくこと。相続のことなど考えないで母親のお世話に集中し、心静かに旅立ってもらうこと。母親が亡くなった後に両親の相続手続きをすること。」これが私のアドバイスでした。

このままでは自宅は母親とBさんの未分割共有状態になります。だが、自分が住んでいる分には何の支障もありません。

つい法律や税金や財産に目がいってしまいがちです。が、いかに母親に穏やかに旅立ってもらうか、ここがこの相続問題の本質です。

法律相談と心が絡む相続相談とは別ものです。相続相談は問題の本質を見抜く冷静な視野と思いやりが必要です。

1時間ほどの面談でしたが、Bさんは入ってきた時とは別人のような安堵の表情を浮かべ帰られました。

最後のラブレター 野口レポートNo340

誰が相続人になるのか、相続分の割合はどうなのか、これは法律で決まっています。そして順番があります。先順位がいれば後順位の人は相続人にはなれません。第1順位⇒子と配偶者、第2順位⇒父母等の直系尊属と配偶者、第3順位⇒兄弟姉妹と配偶者。配偶者は相続分こそ違えどこの順位でも常に相続人となります。

相続分は法律で決まっていますが、遺産分割協議で相続人全員が合意すればどんな分け方をしても有効です。

また遺言があれば法定相続に優先します。だが、相続人には一定の遺留分が保障されています。遺留分を侵害している遺言や生前贈与に対し権利を行使すれば取り戻すことができます。ちなみに第3順位の兄弟姉妹には遺留分の権利はありません。

遺留分は侵害されたことを知った時から1年、知らなくても相続開始から10年で時効となり請求権は消滅します。また期限内に遺留分侵害額の請求をすれば時効は中断します。

遺留分侵害額請求の内容証明は弁護士からきます。相手が弁護士を立てたなら、こちらも弁護士を立てるでしょう。相続が法律問題になってしまう所以です。この内容証明は宣戦布告にも等しく、相手に届いた瞬間に家族の絆を失います。ゆえに遺言と遺留分対策は一体で考える必要があります。

ご主人が亡くなり、相続人は奥様とご主人の兄弟姉妹です。兄弟姉妹は5人います。全員が健在で代襲相続人はいません。

相続人に回答書を送ります。①相続分を放棄します。②相続分を相続したい。③その他のご希望ご意見。この回答書に手紙を添えます。「〇〇様はご主人に先立たれ、これからの老後を一人で暮らしていかなければなりません。頼れるのは預貯金です。どうかそれらの事情もお察しいただき回答を頂戴できればありがたく思います。」全員から相続分を放棄するとの回答をいただきました。

このあと類似した案件の依頼をAさんから受けました。前案件と違うところは亡きご主人の兄弟姉妹はすでに全員が亡くなっており、Aさんとは疎遠のオイ・メイ(代襲相続人)が12人います。

代襲者には棚ボタ財産です。同じ手紙と回答書を送りました。全員から「相続分を相続したい」と回答がきました。譲ってくれる人はいませんでした。寂しい話ですがこれも相続の現実です。

Aさんの相続分は4分の3です。だが財産構成のなかで一番のボリュームを占める自宅を相続するので、老後の糧である預貯金は多くを相続できません。他の相続人にいってしまいます。

兄弟姉妹には遺留分の権利がありません。遺言があれば夫の財産は妻が全部相続できます。「もし遺言があったなら」相続の実務家は、こんな思いを何度もしていることでしょう。

長い間連れ添ってきた妻は、何よりも代えがたくありがたい存在です。遺言は夫から妻へ感謝を表す最後のラブレターです。

心に残る相続案件《2》 野口レポートNo339

「お産に耐えた母親の、同じお腹から生まれてくる。そして誰もがスッポンポン。」だから兄弟姉妹と呼べるのです。

まして2人姉妹なら、姉と呼べるのも妹と呼べるのも、この広い世界にたった1人だけ、親が残した財産をめぐり2人が争ってしまったら、これほどの不幸はありません。

知人を介し相談を受けました。相談者は女性で高齢のAさんです。10数年前に母親が亡くなり、まだ相続手続きをしていません。

遺産は老朽マンション1室(1K風呂なし)だけです。相続人は数10年間疎遠で父親の異なる妹のBさん1人とのことでした。

調べてみると妹さんの最後の住所は新潟県になっていました。連絡を乞う手紙を出しました。ダイレクトメールと間違えられゴミ箱へ捨てられないように《○○様相続の件》と明記します。最初に出す手紙は大事です。書き方次第でその後に影響します。

1週間ほどで妹さんから電話が入りました。事情の説明にお伺いしたい旨を伝え、新潟へ出向きました。妹さんは姉が数10年間連絡をくれなかったこと、母親が亡くなったのを知らせてくれなかったこと、誤解も重なり何を今更と立腹しています。

このまま放っておいたら、子どもや孫の代まで憂いが残ってしまうと、妹さんに重ねて協力をお願いしました。

姉がマンションを相続し、その代償として妹さんが代償金を受け取ることで合意しましたが、その後がまとまりません。

老朽マンションとはいえ、地方からすれば東京の不動産です。価値の認識にズレが生じ、代償金の額で意見が合いません。しかたなく時間を置くことにしました。半年後に妹さんに電話を入れてみました。このままでは母親が成仏できないからと譲ってくれました。

姉には会いたくない、判子は押すから野口さん1人で来てほしいとのことでした。この仕事の目的は数10年も疎遠であった異父姉妹の縁を戻して差し上げることです。この機を逃してしまったら二度とチャンスはないでしょう。ここは一歩も譲れません!

ようやく妹さんに理解いただき姉と一緒に新潟に行きました。タクシーを降りると妹さんが門前に打ち水をしていました。こちらがお姉さんですよ、こちらが妹さんですよ、と紹介しました。

やはり血のつながりです。戸惑いながらも嬉しそうな妹さんの表情が印象的でした。まさに数10年目の橋渡しです。

相談を受けてから終わるまで1年半かかりました。わずかな財産でしたが母親が残してくれたから、姉妹の縁が戻ったのです。天国の母親も喜んでいることでしょう。

手間暇を考えたらできない仕事でした。「徳」この見えない報酬が天に蓄えられ、神様は帳尻を合わせにやってきてくれます。

やってよかった、いってよかった、小さな相続案件でしたが、大きな仕事を成し遂げた気分で新潟を後にしました。

優しさのなかに一筋の強さを 野口レポートNo338

NPO法人相続アドバイザー協議会が主催している「相続アドバイザー養成講座」があります。相続をあらゆる分野から網羅したもので、1講座2時間で20講座(現在は18講座)あります。その第1講座の講師を20年間つとめました。

受講者は受講料を払い時間を使って講義を受けにきています。第1講座の出来がよければ、申し込んでよかったと思うでしょう。

もし出来が悪ければ、こんなレベルかと裏切られた思いを感じ学習意欲が下ります。第1講座の講師はそれなりの責任があり、プレッシャーもかかります。まして当時は、協議会副理事長の要職についており、色々な意味で試されます。

土地家屋調査士で行政書士の中田隆之さんがいます。平成20年4月に養成講座を受講されました。その時のことをコラムに書いています。一部を紹介したいと思います。

『相続アドバイザー養成講座第1講座のことは今でも鮮明に覚えています。その時の第1印象は、なにやら人の良さそうな「おっちゃん」が出てきたなあ~。(そのときの素直な感想です。すいません…。)第1回目の講座だし初歩的な話をするのかな~? そんな軽い気持ちでした。しかし、「人格の伴わない資格者は人を不幸にする。そういう人は仕事をするべきではないね……。」

弁護士や税理士、司法書士といった世間では「先生、先生」とよばれている方々を前に、笑顔で言い放ったひと言は衝撃でした。

まさに、私自身の悶々としたジレンマを言い当てられたような思いでした。』 野口賢次著「譲る心と感謝の気持」より抜粋。

彼は「このひと言」で大事なことに気付きました。正しく進めばおのずと道は開けてきます。今では神奈川の測量会社ではトップクラスへと成長しました。他に相続サポートセンターや、地方都市と組んで空き家の再生なども手掛けています。まだ53才で「伸びしろ」もあり先が楽しみです。

人間には性質と性格があります。性質は持って生まれた気質です。変えることはできません。性格は感性と意志の傾向であり、努力次第で変えることができます。クラス会で久々に会った同級生の誰もが卒業当時のままである。これも変わることができない証です。

人は「優しい人」と「強い人」がいます。これは持って生まれたものです。優しさがベースにある人は、優しさのなかに一滴の強さを持つこと、強さがベースにある人は、強さのなかに一滴の優しさを持つこと、この一滴はコーヒーに入るミルクと同じです。

「優しさと強さ」「強さと優しさ」これを合わせ持つことで魅力が出てきます。魅力のない人間に相手は心を開いてくれません。

私のベースは優しさです。が、優しいだけではただの人の良い「おっちゃん」です。相続の仕事などできません。魅力ある人間であるがためにも、自分の持っている一滴の強さを磨いてまいります。

街路樹に感謝 野口レポートNo337

前を通る南武沿線道路が開通したのは昭和39年でした。その時から歩道には街路樹の「ゆりの木」が植えられています。落葉樹なのでこの季節になると歩道一面に枯葉が落ちてきます。この落ち葉を掃くのがひと仕事、やっと掃き終わっても風のひと吹きで元に戻ってしまいます。いつも文句を言いながら掃いていました。

朝7時の歩道の掃除は日課です。ある時、大事な事に気付きました。この木は2代目になりますが、大きく育ち「夏は葉が生い茂り事務所に入る西日を遮ってくれている。冬は葉を落とし暖かな光を事務所のなかに入れてくれている。」こんな有り難い事になぜ気付かなかったのか、自分の未熟さを恥ずかしく思いました。

「ありがとう」の語源は「有り難い」です。つまり、「ある」ということはなかなかないことなのに「ある」のです。それは幸せなことです。だから「ありがとう」なのです。

「ある」のが当然と思っていることは「有り難い」の正反対です。だから反対語は「当たり前」なのです。

有り難いは身近なところにあります。当たり前と思わず、感謝できるかどうか、気付くことで人格は形成されていきます。

街路樹の有り難さに気付いてから、落ち葉の掃除も苦にならなくなりました。ありがとうと感謝の気持ちで掃いています。

先日この木に張り紙がしてありました。「この樹木は管理に支障があるので伐採します。道路公園センター」とありました。

葉が青々と茂った元気な優良樹なのになぜ切るのか、役所の担当部署に問い合わせてみました。原因は横断歩道の邪魔になっており、公共の安全を優先するとのことでした。50年も放置しておき何をいまさらと思いました。

数日後、市から伐採を委託された業者が、ごみ回収車、クレーン車、高所作業車、作業員が4人と、ものものしい出で立ちで現れ、枝を払い幹の頭をクレーンでつまみ後は輪切りです。ゆりの木のあっけない最後でした。残骸(切り株)をさらけ出し、後は伐根されるのを待っているだけです。樹木といえ可哀想な気がします。

もし樹木が歩くことができたなら、どこか住み心地のよい場所を見つけ根を張ることもできるでしょう。が、それはかないません。植物は自分の住むところを選べないのです。この木も「座して死を待つ」しかありませんでした。

人間はいつも、不平不満、グチ、泣きごと、悪口、文句を言っています。植物は崖だろうが道路だろうがドブだろうが、種が落ちたところに根を張り、一切文句を言わず一生懸命生きています。人間も生きる強さを学ぶべきだと思います。

人が亡くなる時は、寂しさと同時にあっけなさを感じます。樹木も同じだと思いました。半世紀にわたり、南武沿線道路の街路樹として、私どもを見守ってきてくれたゆりの木に感謝し合掌です。

重さは同じ 野口レポートNo336

10年ほど前に相続税基礎控除が大幅に引き下げられました。庶民にとって相続税など無縁でしたが、この改正により首都圏ではサラリーマンの相続でも自宅があれば課税の可能性があります。

しかし、相続税には「小規模宅地の特例」という大バーゲンがあります。厳格ですが要件を満たせば自宅敷地330㎡までは20%評価となり80%の評価減が受けられます。この特例で相続税はセーフなんて人も結構います。ただし相続税の申告が必要です。

最近はこの層からの相談や依頼が多く身の上相談まであります。

《案件1》Aさんから「実はガンで、医師からは余命1年と言われている」と相談を受けました。公正証書遺言を作ってほしいと頼まれました。家族が揉めることのない相続を望んでいます。

Aさんが悔いなく旅立てるようお手伝いをしてあげたい、そんな気持ちで取り組みました。遺言を作成してから1年半で亡くなりました。相続も円満に完了しAさんの願いはかなえられました。

《案件2》ご主人が急逝されました。相続人は奥様とご主人の兄弟姉妹(代襲者を含む)が9人です。相手には夫に先立たれた奥様の気持ちと経済事情を丁寧に伝え、相続を辞退してくださるようお願いしました。8人が譲ってくれました。権利を主張していた最後の1人も他の8人が辞退したことを知り譲ってくれました。

《案件3》あと1人というところで、最後の相続人が重度の認知症でした。私では認知症に対応できません。士業へつなぎ無事完了しました。成功報酬なので交通費(実費)のみを請求しました。労多くても成功しなければ実になりません。「お疲れ様」と言葉をかけられると思いきや、先生・先生と言っていた依頼者の言葉づかいと態度がガラリと変わりました。相続いろいろ、人間もいろいろです。めったにないケースですがくやしい思いをしました。

《案件4》親と同居しているBさん夫婦がいます。両親から大きなストレスを受けています。何回か面談し私の答えです。「親を捨てろ」それしかない、それで全てが解決する。Bさんは「長男だし親を捨てることなどできない」でした。私も長男なので気持ちは分かります。が、このままでは心を壊されてしまいます。

その後、事態が一変し家を出なければならなくなりました。本人はアパート住まいになりました。親と顔を合わすことがない、干渉されることも一切なくなった、親の呪縛からやっと解放され、ストレスも解消し心にも余裕ができました。趣味を見つけたり、夫婦で旅行に行ったり、充実した日々を過ごしています。「アパート住まいだが前と比べたら天国だよ」と言っていました。結果として「親を捨てる」ことになったBさんは人生を取り戻しました。

人は生きている限り、誰でも悩みや苦しみを持っています。荷物の大きさは違ってもその重みは同じです。ここを理解して差し上げることは相続アドバイザーとして大切です。

60代の10年間は黄金の時間 野口レポートNo334

昔は還暦になると、赤いちゃんちゃんこと頭巾をかぶり、お年寄りになったことを祝ったものです。誰が見ても当時の60才は立派な「おじいちゃん・おばあちゃん」でした。

私は昭和21年の生まれです。「光陰矢の如し」とはよくいいますが、アッという間の78年でした。

振り返ってみると、60才から70才までの10年間は「黄金の時間」でした。いま思えば第2の青春の入り口のようなものでした。大人の雰囲気が出てくる歳にもなり、まだ体力気力も十分ありました。若い頃に考えていた60才とはずいぶんと違いましとした。

60代、この10年間の「黄金の時間」に色々なことができました。いくつかをあげてみましよう。

6時間ぶっ続け「出し昆布」セミナー。
相続の法律や税務を語れる人は多くいますが、心の部分を語れる人はいません。「出し昆布」は自分の持っている全てを相手のために出し尽くします。相続に関して私が持っている「知識・経験・ノウハウ・心」を全て出し尽くします。名付けて、6時間ぶっ続け「出し昆布」セミナーです。立ちっぱなし、話しっぱなしで6時間です。100人を超える会場もありました。心の相続をテーマに依頼を受け、九州から北海道まで全国に講演に行ったのも60代でした。

著名な税理士先生のラジオ番組にゲストとして呼ばれ、「心の相続」をテーマに3回ほど対談させていただきました。

毎月発行している「野口レポート」を編集し、「心をつなぐ相続」として初めて出版することができました。ライターは使いませんでした。街の本屋さんに並んでいる自分の本をみて感激しました。

旅行等も積極的に参加しました。足腰も衰えを感じることなく、親しい友人家族らと一緒に行った旅行は楽しい思い出です。

4人姉妹が揉めていた長崎の五島列島や、別件で与論島にも行きました。精神的にも成長し、体力・気力もみなぎっていました。

 それから数年がたち後期高齢者と呼ばれる歳になりました。以前のように足が上がらない、駅へ行くにも若い女の子に抜かれる、座って立つのが難儀になってきた、お酒の量も少なくなった。

最近になって体力の衰えをはっきり感じるようになりました。現実を素直に受け入れることは大切です。年は、どんなに大金持ちでも、いくら貧しくても平等です。同じように重ね老後をむかえます。自分もあと2年で80才の大台にのります。その時の体力はどうでしょうか、衰えを補うのは気力しかありません。私を必要としている人はまだいます。これからも現役を続けていくなかで、いかに気力を保つことができるかが勝負です。

60代はまさに第2の青春です。還暦をむかえた人、これからむかえる人も、老いている暇などありません。この素晴らしい時間を充実して過ごしてくださるよう願っています。

濃紺の背広との別れ 野口レポートNo334

人生には出会いもあれば別れもあります。10数年間苦楽をともにしながら、私の生き様を見てきてくれたパートナーがいます。それは1着の濃紺の背広です。捨てがたく、もう1年、もう1年と、つい着込んでしまいました。さすがに色あせ、ほころびも目立ち、いよいよ限界となりました。

あるおばあちゃんが相談にみえました。数10年前に父親が亡くなり、その後に母親が亡くなりました。まだ相続手続きをしていません。名義を変えてほしいとの相談です。母親は父親(夫)の相続人の立場と、被相続人の立場を持つことになります。遺産分割協議書での母親の表示は「相続人兼被相続人」となります。

遺産は約40坪ほどの土地です。相続人は妹が1人とのこと、妹からは姉が相続する同意を得ているとのことです。司法書士をセットして相続登記をすれば済む話と思われました。が、このおばあちゃんは1人暮らしです。いわゆる独居老人です。話を傾聴していくうちに、ご主人と離婚をしているとのこと、父親の土地の上にある建物は別れたご主人とおばあちゃんの共有になっていること、2人の子供は事情があり、おばあちゃんの面倒を見るのは難しいことが分かりました。この相続問題の本質は何かを考えました。ひとり暮らしをしているおばあちゃんが頼りになるのはお金です。

相続した土地を将来換金し、老人ホームなどの費用にあてる必要があります。ここで問題が出てしまいました。相続する土地上の建物は元ご主人との共有です。土地を売るには建物の解体の承諾を取っておくか、おばあちゃんの単独所有にしておく必要があります。

元ご主人のところへ行きました。丁寧に事情を説明し、建物の持分を贈与してくれるようお願いしました。こちらの誠意が通じ贈与契約書にハンコを押してくれました。建物は築年数も経過し持分も半分なので評価も低く贈与税の負担はありません。

これでこの土地をいつでも売却し、老人ホームの費用にあてることができます。その時は私が仲介することを約束し一件落着です。おばあちゃんからは「神様だよ」と言われました。

相続アドバイザーは弁護士や税理士などの専門家ではありません。士業でない者が、相続の世界で生きていくには「問題点を感じ取る感性」と「本質を見抜く目」そして「思いやりの心」を、知識以上に身につけておく必要があります。

小さな仕事だとお思いでしょうが、相談者にとって荷物の大きさは違ってもその重みは同じです。どんな小さな仕事でも相手のために全力で取り組む気持ちがなければ大きな仕事はできません。

よい仕事をした後は心地よいものです。この相続案件が長く連れ添ってきたパートナー(背広)との最後の仕事になりました。シワを伸ばし丁寧にたたんで、長い間お世話になったパートナーに別れを告げました。「ありがとう」の言葉が自然と出てきました。

生命保険の性質を知る 野口レポートNo333

生命保険受取金は契約形態により、税法上での扱いが異なります。大きく分けて次の3パターンがあります。契約者が保険料を払っていることが前提です。被保険者とは亡くなった人のことです。

《パターン1》 契約者(父) 被保険者(父) 受取人(子・母)、ここでお金の流れを見てみましょう。お金は保険会社から支払われます。が、保険料を払ったのは父です。亡くなった父から子や母が受け取ったことになるので「相続税」の課税です。

受け取った保険金は、500万円×法定相続人の数=非課税となります。非課税の枠を超えた保険金は相続財産に取り込まれ課税の対象となります。この受取金は民法上の相続財産になりません。よって遺産分割は不要です。指定された受取人が取得できます。相続放棄した相続人でも受け取ることができます。

《パターン2》 契約者(子) 被保険者(父) 受取人(子)、子が保険料を払い、自分が受け取るので「所得税」の課税です。

一時所得の1/2に課税です。お金持ちの納税対策に使われます。

《パターン3》 契約者(母) 被保険者(父) 受取人(子)、

保険料は母が払っています。存命している母からお金を受け取ったことになるので「贈与税」の課税です。いちばん悪い契約パターンです。専門家と相談し契約の変更を検討してください。

ある母親が亡くなりました。父親はすでに他界しており、相続人は兄と妹の2人です。母親には生前に某銀行に2000万円の普通預金がありました。取引先の銀行マンにすすめられ、パターン1の契約で、500万円の一時払いの生命保険(受取人兄)に加入しました。これを年間1回、4年繰り返し、2000万円の普通預金が、2000万円の生命保険に入れ替わりました。

高齢の母親には何の意図もありません。昔から知っていた銀行マンの成績稼ぎのために言われるままです。この生命保険がどういう保険なのか受取人の兄に説明しました。

ここからが私のアドバイスです。「法律ではこの受取金は民法上の相続財産にはなりません。指定されている兄が受け取れます。しかし、4年前までは銀行預金です。本来は兄が1000万円、妹が1000万円を相続することができたはずです。ここは法律でなく常識で考えてみましょう。」このまま2000万円を外し、遺産分割したら妹は納得しないでしょう、兄には一歩譲り1000万円を代償金として妹に払うことをアドバイスしました。兄は素直に聞き入れてくれ、妹も納得し遺産分割協議は1回で完了しました。

また、パターン1の契約は、自宅と預金少々の庶民には、預金を生命保険に置き換えることで相続財産を減らし(遺留分も減る)、受取金で遺留分侵害額請求への対応もできる遺留分対策も可能です。

生命保険はその性質を理解し、上手に活用したらシンプルで安全な相続対策として効力を生じます。