「学問のための学問」への警鐘 中條レポートNo296

渋沢栄一の『論語と算盤』の一節に、
「今の青年は、ただ学問のための学問をしている…」という言葉があります。

この言葉を読み、大学時代の自分自身の姿を思い出しました。将来何をするかも決めないまま大学に入り、目的意識を持たずに過ごしてしまった経験は、まさにこの指摘に重なります。

当時は、「進路は焦って決めるものではない」と軽く考えていました。
しかしこの考え方自体が、時代背景に甘えたものだったと、渋沢の言葉を通して気づかされました。

明治維新の直後、また戦後の混乱期には、国全体が生き延びるため、あるいは先進国に追いつくために、個々人が明確な目的を持ち、懸命に努力していました。
そうした時代では、「とりあえず大学へ」「進路は後で考える」といった発想は許されなかったはずです。
自分が進路に迷いながらも大学生活を送ることができたのは、先人たちの努力によって築かれた豊かさがあったからこそです。

この「豊かさの中にある無自覚な甘え」に気づくことができたのは、渋沢の言葉による大きな学びでした。
渋沢は、「分不相応な学問」が青年を誤らせ、国家の活力さえも奪うと警告しています。これは決して学問を否定しているのではなく、「目的のない学び」がいかに危険であるかを伝えています。

だからこそ、学ぶことは「何のために学ぶのか」を常に意識し、現実の生活や社会との接点を持って進める必要があるのです。
自らの仕事に対して目的意識を持ち続け、学び続け、社会に貢献できる力を身につけていくことが大切です。先陣への感謝を忘れず、日々の業務や学びに対して誠実に向き合い、社会のお役に立てるよう精進していきたいです。

※渋沢栄一が生きた時代背景が私の歴史認識と大きくことなることがわかりました。明治の初期を生きた人の社会の実態を知ることが出来ます。必読書です。

正直に生きる 野口レポートNo352

タレントで女優の磯野貴理子さんが、小学生時代の社会見学の様子をエッセーに書いています。

訪問先のゴミ処理場見学に先立ち、先生から注意がありました。「皆さん、静かに見学しましょう。汚くても臭くても決して臭いなどと言ってはいけません。」当時のゴミ処理場のことです。現場に入ったら臭いのは当たり前です。

そこへ、通りかかった処理場のおじさんが声をかけてくれました。

「どうや、臭くてたまらんやろ?」子供達は一斉に臭くないといいました。「こんなに臭いのに、おまえらの鼻アホとちゃうか!」と言って、おじさんは行ってしまいました。それ以来、磯野さんは自分に正直に生きようと心に決めたそうです。

もう25年も前の話になります。中学校の同級生Ⅰ君が甥の結婚式に上京してきました。バスの運転手になるとの夢を捨てきれず、郷里の秋田に帰り、地元バス会社の運転手を勤めています。

結婚式が終わった翌日に私のオフィスを訪ねてきてくれました。久々の再会です。言葉もすっかりナマっていました。久しく会う同級生との再会はうれしいもので、環境の違いや年月など瞬時にふっとび当時に戻り昔話に夢中です。

その夜、恩師と数人の同級生を呼び彼と酒杯を交わしました。昔は控えめだった彼が東北弁で語ってくれました。

「俺もな、ズブン(自分)で出けることをズブンなりに一生懸命正直にやってけてな、家も持てたす、子供達も独立し、銭さも少し余裕ができただ、だから勘定は俺にもたせてけろ。おがげさんでな、俺もこなして銭払えるようになったんだべえ、ありがてえことだ。」

誘ったのにご馳走になってしまいました。経済的に大きな余裕はないと思うが、心は金持ちなんだな~。お腹も出て頭も薄くなっていますが、自信に満ちた姿はとってもカッコよく見えました。

中学時代から目的を持ち、人に迷惑もかけず、見栄もはらず、正直に生きている彼の姿から多くを学ばせていただきました。朴訥と語る話を聞いていて、東北弁とは何と美しい日本語であるかと、初めて気がつきました。

職業に上下はありません。どんな職業でも世の中に必要あってあるのです。私は相続の実務家として、彼はバスの運転手として、自分の道を堂々と真っすぐに歩んでいく、分野は違っても気持ちは同じです。背伸びせず、見栄もはらず、裏表もなく、自分の能力の範囲で「正直に生きる」こんな楽ちんな生き方はありません。

この歳になると、これまでの人生が姿に表れます。正直に生きてきて本当によかったと思います。今日までの自分の生き様に、一片のくもりも悔いもありません。そして残りの人生に迷いはありません。清々しい気持ちで迎える傘寿に感謝です。