心得 中條レポートNo182

毎月届くレポート「素心」に「素心学の心得」と題した一枚の紙が入っていまいした。

心得は三つ章からなっています。
・二十の徳目 ・日常の心がけ ・謙虚さがなくなる兆候 全部で55項目あります。

「二十の徳目」の一番目に
「心にクセなく物事をあるがままに受け入れること」と書いてあります。
あるがままに受け入れることの大切さはわかりますが、どうすれば、あるがままに受け入れられるのか。悟りを開くことと同じように難しいことだと思っていましたが….

次の「日常の心がけ」に書かれていることを行っていく。
・笑顔で挨拶 ・正しく、優しい言葉づかい ・清潔でさわやかな身だしなみ ・腰骨を立てた正しい姿勢 ・「ハイ」という明るい返事 ・和やかな気持ちで愛艇に応対 ・人の話は丁寧に聴く ・身のまわりの整理整頓 ・約束、規則は必ず守る ・早起きの励行 ・一日の終わりは静かに反省 他10項目。

そして自分自身に次の「謙虚さがなくなる兆候」が現れたら正していく。
・時間に遅れだす ・約束を自分の方から破りだす ・あいさつが雑になり出す 他人の批判や会社の批判をしだす ・すぐに怒り出す ・他人の話を上調子で聞き出す・言い訳が多くなる ・「ありがとうございます」という言葉が少なくなる 他6項目。

これらを、丁寧に行っていくことがあるがままに受け入れるための方法ではないかと感じました。
どれも難しいことではありませんが、心から行動しなければなりません。また気を抜くとすぐに疎かになります。

特に「ありがとうございます」は効果があるようです。魔法の言葉と言われる所以ではないでしょうか。周囲をそして自分自身を変える力を持っています。但し心から想って言わないと効果はないようです。
なぜなら、心から思うためには、相手を受け入れることが必要だからです。

「あるがままに受け入れる」ための第一歩ではないでしょうか。

相続手続 中條レポートNo181

相続が発生すると、様々な手続が必要になります。
最初に行うのは死亡届。これと火葬埋葬許可申請は葬儀屋さんが代行してくれます
死亡数日後、死亡が記載された戸籍が出来きます。死亡が記載された戸籍(届出先によって相続人を確定する戸籍が必要)を持って様々な手続を始めます。

世帯主の変更・印鑑カード、各種保険証の返還・葬祭費の請求・未支給年金の請求・高額療養費の還付手続・遺族年金・準確定申告の手続等々。

遺産分割、相続税申告にかかわる手続。
遺産分割手続でまず行うのが相続人の確定です。亡くなった方の出生から死亡までの戸籍。子供、親が死亡している場合は兄弟姉妹・甥姪が相続人になるため、両親の出生から死亡までの戸籍も必要になります。遠方に本籍がある方は、郵送による申請となるため、本籍が全国を転々とされている方は戸籍を揃えるのに数週間要します。

遺言書の有無の確認を行います。公正証書遺言の有無は過去(平成以後のもの)に作成されているか検索が出来ます。自筆証書遺言は部屋の中、貸金庫等を調べますが無いことの証明は出来ません。

次に相続財産の確定です。
不動産は名寄帳を各市区町村で取得します。固定資産税納税通知書だけでは課税されていない不動産(私道)を漏らすことがあります。また現地を確認することも大切です。

金融資産は死亡時の残高証明を取得します。又、相続開始前の預貯金の履歴も重要な資料となります。貸金庫の有無も調べます。どこに預貯金があるのかわからない場合は、ありそうな金融機関に預貯金の有無の確認を行います。

債務の調査も重要です。本人の債務は引落口座や書類等で判明しますが、保証債務の有無の確認は困難です。主たる債務者が支払っていれば請求はこないし、書類が残っていないことがあるからです。

相続人・相続財産の確定の元、遺産分割・相続税の申告を行います。相続税申告期限は10ヶ月以内ですから、相続税申告が必要な方は、この日を相続人全員が認識し相続手続を進めていくことが重要です。

上記の他にもお墓をどうするか等々様々な手続があります。大切なのは全体を見渡して手続を進めることです。スムーズな手続が円満相続につながります

香厳上樹 中條レポートNo180

禅問答 香厳上樹 (無門関 第5)

「お坊さんが、木の上に登って、口で枝をくわえ、手は枝をつかまず、脚は枝を踏まず、口だけでぶら下がっている状態のところに、木の下に人がやってきて、仏教とはなんですか、と質問します。

答えなければ、その人はよそに行ってしまう。しかし答えれば口をひらかなければなりません。落ちて死んでしまいます。といって、答えなければ、お坊さんとしての使命が果たせません。ではどうすればよいか」

「生命なんかどうでもいい。口を開いて落ちるまで、一心不乱に仏教を説く」
「答えないでぶらさがっている」
等々の答えが考えられますが、果たして落ちるまでに仏教が説けるのか? ぶらさがっているだけで仏教徒の使命が果たせるのか? それに、ぶらさがっているだけではそのうち疲れ果てて落ちてしまいます。

「手足を使って木から降りて、降りてから仏教を説く」
答えの一つです。

手足は使わないと決めたのは、この問答を投げかけた香厳という偉いお坊さんです。しかし、偉いからと言って、そこにとらわれる必要はありません。
私たちには手もあり、足もあります。

とらわれると、こんな簡単なことに気が付きません。いや、わかっていても縛られて行動出来ないのです。

私たちは普段の生活で同じことをやっています。とれわれた範囲内で問題解決策を探し、見つからないと悩んでいないでしょうか。

それでは、私たちを縛っているのは何でしょうか。
法律、規則、組織、社会、親、目上の人、等々、様々なものが考えられます。
しかし一番は自身が生まれたときから積み重ねて造ってきた「価値観」「我」ではないでしょうか。このとらわれが、気付かなくし、わかっていても動けなくします。

頭の中を空にし、自由になってください。
問題解決方法を見つけ、行動するのに役立つと思います。

その人らしく 中條レポートNo179

平成2831日の最高裁判決(列車事故で認知症の父親の監督責任を問われ損害賠償請求されていた裁判)で勝訴の長男のインタビュー記事です。

『一審二審では「認知症の人が社会に面倒を起こさないようにどう監督するか」が協調され認知症の人の生き方に寄り添う視点がなかったと感じました。
最高裁判決で嬉しかったことは「認知症の人が行動制限されないことも重要だ」と木内裁判官が判決文の補足意見に書いてくれたことです。
面倒恐れて何かを奪うのではなく、父親らしく過ごさせてやりたかったという思いが認めてもらった気がしました』

介護する者が、責任を負わされたら必然的に本人の行動制限を行います。行動制限は本人にその人らしく”生きてもらうための障害になります。

成年後見制度の理念です。
自己決定の尊重 「自分のことは自分で決め、そのことをみんなが尊重していこう」現有能力の活用 「現に有する能力を最大限に活用して自分らしく生きていこう」
ノーマライゼーション 「社会の中で普通に生活できるように社会の仕組みを変えていこう」

「認知症だからどうせわからないんだから」これは間違いです。
しっかりと感情があります。注意するのではなく共感していく。そして上記の三つの理念に基づいて接していくことが成年後見制度では求められています。

しかし100の内1つが事故につながると残りの99も規制されていく。
これが世の常です。上記の理念より行動制限が優先されていくでしょう。

今回の判決で介護者に過度な行動制限を取らせることにはならないでしょう。その意味では評価出来ると思います。しかし、家族の身体の状況や介護実態などによっては責任が生じる場合があるとも言っています。

このことから「介護に積極的に関与すれば、賠償責任を負うリスクが高まる面はある」「なるべく介護を引き受けないということになれば、在宅介護を推進する国の方針に反する」という意見も出ています。

「その人らしく」と「事故防止」そして「お金」。
この三つを解決する方法は…….
対策が有るとしたら「地域社会の活用」。
ひと世代前の日本に戻ることだと思います。

成年後見制度 中條レポートNo178

後見人の不祥事が相次いでいます。

後見人に対する監督を怠ったとして、家庭裁判所が訴えられ家裁の過失を認める判決も出ています。
後見人の監督は今後間違いなく強化されていくでしょう。

後見制度の利用が必要な人は今後も増え続けます。それに合わせ家裁の後見を監督する人員を増やすことは限界があります。当事者で対策を立てざるを得ません。

既に一定以上の資産がある場合、親族後見人は選任されづらくなっています。親族はナァナァな関係になりがちで不正が多いからです。弁護士・司法書士等の第三者後見人が選任されます。

一定の金額以上財産を所有している被後見人の場合は第三者後見人でも後見監督人を付けることが検討されています。

また後見制度支援信託(必要なお金以外はあらかじめ信託銀行に預ける。このお金を引出すときは家裁の許可が必要)は既に活用が広がっています。

各士業の団体が独自に会員を監督する動きも広がっています。行政書士で形成されているコスモスの会員も昨年10月より年4回の定期報告を行うようになりました。
このように様々な対策が施されていきます。

後見制度は性善説にたって出来た制度です。
しかし悪いことをしようと思えば出来てしまいます。
後見人は被後見人の財産を自由に処分出来、これを一個人の裁量に任せているからです。家庭裁判所の監督も1年毎です。逆にいうと1年間は監督されません。

但し不正を行っているのはごく一部の人です。しかし、ごく一部でも不正を行うと大問題になるのが後見制度なのです。

制度主旨、効用は素晴らしい制度はたくさんあります。
しかし、その制度を悪用する人が出てきたら取り締まらなければなりません。取り締まる対策が、制度を硬直化させます。

良い制度にすることより、制度を守るためにコストをかける。これが世の常です。
良くすることだけに全力を注げたら素晴らしい制度が出来るのに.。

この矛盾を解消する世の中は、まだまだ先になりそうです。

不動産の売却方法 中條レポートNo177

不動産を相続せずに、不動産を売却したお金を相続人間で分配する遺産分割が増えています。
理由は不動産が面倒くさい財産になっているからです。面倒くさくなった理由は

1価値判断か人によって異なる。(3人いれば3通りの価格が出てくる)
2様々な要因で価格が変動する。(マイナス要因に敏感に反応し価格が下がる)
3保有コストがかかる。(他人に損害を与えると所有者責任を問われるリスクもある)
4将来値上がりの可能性が低い。(不動産が余っている)

それでは、売却するにはどんな方法があるでしょう。相続人が子供2人だとします。①2人の名義にして、2人で共同して売却して売却代金を分ける。
1人の名義にして売却し、売却代金の一部を他の相続人に渡す。

①の方法だと、2人が売買に携わります。何をするときも2人の合意がなければ出来ません。②の方法だと売買手続にかかわるのは1人だけです。
仲が良ければお互いに一番良い方法を選択出来ます。(同じ金額で売却しても手取額が売却方法で異なることもあります)しかし仲が悪いケースでは…….
「あいつに任せたらいいようにされてしまう」と➀を選択するケース。(仲が悪い2人が合意しながら売却を進めていくのは大変なことですが)
「あんなやつと共同で売るなんていやだ」と➁を選択するケース。

売却の相手をどうするかも問題です。不動産業者(以下業者という)か一般人かです。
分譲出来るような広い土地の購入者は業者に限られます。(業者への売却は手続が確実で早い)しかし戸建住宅、マンション等一般人が買えるものは一般人に売却する方が、高く売れます。高く売りたいなら一般人がよいでしょう。
しかし、売りに出し、買手が現れないと価格を下げなければなりません。立場が違う二人の意見が対立することもあります。仲が良かった2人が険悪になることもあります。

兄弟姉妹のフランクな関係に、財産の分配を決めるという特異な状況がやってくるのが遺産分割です。速やかに手続が完了する業者への売却も選択肢の一つです。

どの選択肢が適切かを、総合的視野から見て判断する目を持つことが大切です。

相続を法律問題にしない 中條レポートNo176

相続は「相」(姿)を続けるということです。
命のバトンを引き継ぐときです。

しかし、相続というと財産承継が主になってしまいます。
財産をどのようにわけるかです。

民法には、
相続で財産を引継げる人(相続人)
相続人がどの割合で財産を引継ぐか(相続分)
が書かれています。

しかし、相続人全員が合意すれば民法に関係なく財産を分けることが出来ます。
それでは何故民法に相続分が書かれているのか? 相続分が出てくるのはどんな時か?

話合いの基準として相続分が利用されることは多くあります。
もうひとつ、相続分が重要な役割を果たすときがあります。

それは相続を法律で裁くときです。
話合いで解決がつかず、裁判になったときの裁判官の判断基準です。

「全ての事情を総合考慮して判決を出す」ということになっていますが、この相続分が基本となって判決は出されます。理不尽だと思っても民法が基準になるのです。
裁判官が状況に応じて判断基準を変えていたら「法」が「法」でなくなるからです。一律に判断されるということです。

家族状況はみな違います。
それを法律で一律に判断してしまってよいのでしょうか。
「相続を法律問題にしてはいけない」と言われる所以です。

「子供たちが私たち(夫婦)の遺した財産で争わないことだけが望みです」
相談者の方から聴く真摯な想いです。
この想いがかなわぬことほど不幸なことはありません。
この想いを託される相続アドバイザーの役割の重みを感じます。

自己を忘れる 中條レポートNo175

「自己を忘れる」道元禅師の教えを学ぶ機会がありました。
自己を はこび 万法を修証するを 迷いとす。
万法すすみて 自己を修証するは 悟りなり。

頭で考えて(自己をはこび)答えをだそうとすると、自分の都合のよい答えしか出てこず迷いから抜けられません。
ある程度考えたら、自己を忘れて答えをだす(万法すすみて、自己を修証する)。その答えが、物事を本質的に解決する答え(悟り)であるということです。

頭で考えると自我が邪魔をします。無意識に自分の都合のよい答えを導こうとします。目先の解決にはなるかもしれませんが、本質的な問題は解決しません。

この自我を除いて答えをだす方法が、自己を忘れることです。
自己を忘れるとは、考えることを止めることです。
そのとき、浮かび上がってくる答えこそ、問題を根本から解決するための答えです

しかし考えることを止めるのは簡単なことではありません。人は、年がら年中、頭の中で何かを考える癖がついているからです。
この癖をとる方法が瞑想や座禅です。休みなく働いている「頭」に少し休息をとらせてあげられたらという気持ちで取り組んでみてはいかがでしょうか。

それでは相続争いをしている人の「頭」の中を覗いてみましょう。
自我に執着した考えが、怒涛のように駆け巡っています。答えは必然的に自己中心的になっていきます。一番の問題はそこに気が付いていないことです。

遺産分割をまとめるためには、本人が自我に囚われた考えだということに気が付くことです。そうしないと裁判所のお世話になりかねません。
しかし、相続争いをしているときに上記のようなお話をしても.....。

そんなとき「自我に囚われた考え」だと気が付いてもらう役割を果たすのが相続コンサルタントです。
説得するのではありません。気が付いてもらうのです。
気付いてもらえるかは、コンサルタントの人間力にかかってきます。

暦年贈与 中條レポートNo174

相続税対策には様々なものがあります。
しかし、相続税対策のキーワードは簡単・安心・長続きです。

難しい対策は効果が大きくても、税制改正や親族状況の変化で効果がなくなることが多いからです。(効果が大きいほど、税制改正で蓋をされやすい)

そこで一番使われているのが毎年行う金銭贈与。
「あげます」「もらいます」のお互いの意思が合致したら、銀行へ行って振り込むだけでOKだからです。

年間110万円までは非課税。
500万円贈与しても税金は48.5万円(20歳以上の子・孫への贈与)
複数の子や孫に、何年もかければ、かなりの額が贈与出来、確実に贈与者の財産が減り、相続税対策になります。

しかし……

年老いてくると、銀行に行き手続するのが面倒になってきます。まして最近は振込詐欺防止のため、高齢者が多額のお金を振り込もうとするとチェックが厳しくなります。

そこで登場したのが暦年贈与信託。信託銀行が取り扱っています。
信託銀行にまとまったお金を信託します。あとは毎年いくら誰に贈与するかを信託銀行に依頼するだけです。信託銀行はお金を貰う人から受贈の意思確認をして手続します。
手続が簡単なため需要が増えているようです。

もっと簡単な方法があります。(信託銀行の商品には制約もあります)
お金を信頼出来る親族名義の預金に預けるのです。
そして、いくら・誰に贈与するかを親族に依頼します。親族はお金を貰う人から受贈の意思確認をして手続します。親族名義の預金ですから親族が振込を出来るのです。
注意することは、親族名義の預金に預入れたお金は贈与する人のお金で、親族のお金でないことを他の親族間で明確にしておくことです。
後日、相続が起きたとき、この預金に残高があれば、贈与者の預金として遺産分割の対象となり、相続税の課税財産となることを明確にしておくことです。

暦年贈与を利用した相続税対策も状況に応じて様々な方法が考えられます。
貰う人の資金使途も考慮して総合的な判断のもと実行することが大切です。

女性社会 中條レポートNo173

石川真理子氏 『女子の武士道』より

おなごがでたらめになれば世の中がでたらめになります。
目に見えぬものに振り回されぬように心の目を開きなさい。
自由と身勝手をはき違えてはなりませぬ。
一家の安泰は我が身にかかっているということを識りなさい。
お金も物も、この世での借り物と思えばよろしい。
頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです。
逆境こそが己に与えられた宝と心得るのです。
厳寒の中で咲き誇る梅花のようでありなされ。
明日を案ずるより今日を最期と生きるのです。

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この詩を読んで、ある歴史家のお話()を思い出しました。
社会は女性が創ってきたというお話です。
大昔は現在でいう夫婦という形がありませんでした。
性は自由でしたので、男性が自分の子だと確信出来ない事や、女性が生まれてきた子が誰の子かわからないことが普通にあったのです。

しかし、女性は出産という事実があるため、自分の子だと確定出来ます。
だから財産を引継げるのは女性だけだったのです。男性が引継いでも、子孫に確実に承継させることが出来ないからです。
必然的に女性中心の世の中が形成されていたと想像されます。

このDNAが石川真理子氏の「女子の武士道」にあらわれていると感じました。
冒頭の「おなごがでたらめになれば、世の中がでたらめになります」の言葉が象徴的です。

現在、女性が各分野で活躍しているのは当然のことだと思います。
そして相続が女性中心であることも、より当然なことなのでしょう。

注 この歴史家のお話は私説であって真偽は保証出来ないということです。