湯布院 中條レポートNo147

先月大分県湯布院へ行きました。相続アドバイザー協議会全国大会に参加するためです。

信号のない街“湯布院”。
道を人、車、馬車が通ります。

信号という決まりがないため、道を渡るかどうかは人の心が決めます。
自然と譲りあう心が芽生えます。
駅を降りて街並みを見た時、心がゆったりしたのはそのためかもしれません。

信号も法律です。
私達の日常生活を規制する(縛る)法です。
この種の法には子供の頃から知らずに縛られています。
縛られているものから開放されたことも、ゆったりとした気持ちにしてくれた一因かもしれません。(もちろん山々に囲まれている自然のお陰さまでもあります)

この種の法とは違い、問題(争い)が起きた時に必要となる法もあります。
問題がおきなければ“法”という言葉は出てきません。そのときは人の心が判断基準となります。

代表的なものが相続です。
問題(争い)が起きた時、法を駆使して問題を解決します。
しかし法は一律に判断します。
事象ごとに法が解釈を変えていたら法でなくなるからです。したがって法は感情に左右されることもありません。
道義的に間違っていても法に則していればまかり通ってしまうこともあります。

譲り合う心があれば、信号も、相続法も必要ありません。法に縛られることもないから皆の心も和みます。
相続コンサルタントの役割は法とは別の世界で“相を続けていく”お手伝いをしていくことではないかと思いました。

そんなことを感じさせてくれる街、湯布院でした。

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