御慶(ぎょけい) 野口レポートNo208

ある新聞の元日のコラムに目がとまりました。正月落語でおなじみの「御慶」の話が載っています。以下は抜粋です。

『元日はおめでたい言葉で始めたい。落語の「御慶」が正月の一席として好まれるのは八五郎が富くじを当てる縁起のよさもあるが、それを知った仲間の誰もが八五郎を祝福する優しさではないか。

大金を手にした八五郎は年始回りに歩きたいという。「御慶」とは大家が教えた、最も短い正月の祝詞である。元日の朝、「御慶」「御慶」と騒ぐ八五郎に、周囲は実に温かい。「大層立派になったじゃないか。良かったじゃないか。おめでとう」「みちがえたよ」。ねたみも、そねみもない。青空が広がる。』

78号で紹介した話です。1890年(明治13年)和歌山県串本町沖で、トルコの軍艦エルトゥール号が暴風に巻き込まれて難破しました。近くの島の住人は、避難した68人の乗組員たちを、自らの貧しい生活にも顧みず、わずかに蓄えていた自分たちの大切な食べ物まで分け与え、親身になって看護や世話をしました。

トルコではエルトゥール号の海難事故と、かつての日本人がしてくれた献身的な救助活動のことは、小学校の歴史教科書で学び国民の誰もが知っているそうです。

1985年、イラン・イラク戦争が勃発しました。フセイン大統領は、「今から40時間後に、イラクの上を飛ぶ飛行機は撃ち落とす」といいました。日本政府は対応が遅れ、250人もの日本人が空港に取り残されパニックになりました。タイムリミットぎりぎりで、一機のトルコ航空機が到着し、日本人全員を救出してくれました。

日本人救出にトルコ航空機が飛んだのは、かつての日本人に対するトルコの恩返しだったのです。

金持ちの相続争いほど他人がよろこぶことはありません。まして自分は全く痛みを感じない他人ごとです。「他人の不幸は蜜の味」高みの見物を決め込み、今か今かと争いを期待しています。揉めてしまったらおおよろこびです。

昔の日本人は、他人の幸せを素直によろこべる心の広さがありました。また、他人の痛みを自分の痛みとする思いやり優しさがありました。日本の風土や長い歴史のなかで築かれてきた文化です。

昨今の世相は様変わりしています。「自分さえよければ」この風潮が随所で見られるようになりました。「売り手よし」のみで走る商売人、ルールを守らず平気で非回収日に生ごみを出す人、他の相続人のことを一切考えず、ひたすら自分の権利だけを主張する人。

「自分さえよければ」この我欲が人と人を争わせます。ひいては国の我欲となり、国と国との争いの芽生えになります。

「感謝の気持ちと譲る心の大切さ」この言葉は相続に限らず、世界に通じる幸せの根幹ではないかと思います。

 

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